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獣医師の私が育休から復帰した職場は、と畜場だった

※血が苦手な方には、おすすめ出来ない記事です。不快に思われる方がいらしたら、ごめんなさい。

私は、公務員として、某県に勤めている獣医師である。
昨年、育児休業から仕事復帰する際、復帰とともに新しい職場に異動することが決まった。
その職場が、と畜場である。
正確には、庁舎からと畜を行う会社(「と畜場」と呼ぶ)に出向いて、家畜が病気を持っていないか、お肉に病気がないか、安全に食べられるのかを検査する仕事に就くことになったのだ。(ちなみに、「と畜」とは、生産者から運ばれてきた牛を殺して(「と殺」と呼ぶ)、食べるために解体することをいう。)

解剖や病理が大好きな獣医師、と畜場のような現場が大好きな獣医師、も大勢いる。
しかし、ぽんこつ獣医師である私は逆だった。
学生時代の解剖実習は緊張したし、ホルマリンの匂いに顔をしかめていた記憶がある。

食肉となる家畜を扱う場所だから勿論ホルマリンの匂いはしないが、と畜場の現場は4Kと言われる。すなわち、汚い、きつい、危険、くさい、だ。
仕事復帰初日から現場で「げぼ〜」っと吐いたりしないか、そんな心配すらあった。事務職のママ友が元の職場に復帰する前日でさえ、緊張で眠れなかったと言っていた。こちらは、社会復帰する緊張に加え、いきなり復帰初日に吐かないかなどという妙な心配まで重なった。前日はろくに眠れず、吐いたりしないよう、念のため当日の朝食は抜いておいた。

復帰初日、庁舎にて職場の皆さんに挨拶した後、早速と畜場に向かい、上司に現場をざっと案内してもらう。もう、門から入ったとたんに何かくさい。が、なんとか大丈夫そう。上下白の作業服に着替え、帽子にマスク、ヘルメットを装着する(ヘルメット以外は、食品工場などで見かける格好である)。まずは、運ばれてきた牛たちが繋がれている建物に行く。久しぶりに牛を見てほっこりする。

…と思ったら、次はいよいよと畜現場の建物へ。現場へ入った途端、頭部がなく、皮を剥がれ、枝肉(臓器が無く半身)となった状態の牛が、高い天井から何体もレーンに吊るされているのが目に入る。枝肉の長さは2m近くあるので、かなりの迫力である。そして、作業工程が終わるたびにそのレーンが流れていく…。先ほど見ていた牛たちもこうなるのか、ほっこりなんてしてる場合じゃなかった。建物の中には、何とも言いようのない、内臓と脂の匂いが漂う。

作業をしている社員さんや職場の同僚たちに挨拶をして、さらに中に入っていくと、牛がと殺される場所まで辿りついた。金属の壁で見えないが、裏では社員さんが牛にスタニング(苦しまないよう、頭部に衝撃を与えて気絶処理させる)をし、ボタン操作により壁が上がると、牛がこちら側にある台に倒れてくる。その牛の頚部を切開し、放血する社員さんたち。社員さん達の表情も真剣そのものだ。床に流れる大量の血。時々、反射で牛の大きな体が揺れて、バタンバタンと音がする。獣医師のくせに、最初は体が硬直してしまった。(ちなみに、家畜の取り扱いについては、生命を尊重し、家畜への苦痛が最小限となるよう努めることとされています。)
放血後は、牛の体はレーンに吊るされていく。そして皮を剥がれていくのだ…。初日、吐かずに終わったことにホッとしながらも、やはりと殺の衝撃は自分には大きかった。私は、命と向き合う現場にいるのだ、と思った。

翌日、私は早速現場で昇降台に立ち、吊るされた枝肉の検査に入っていた。安全ベルトを装着し、足元にあるボタンで台の上下を操作するのだが、前と両脇には手すりも何もない。スッカスカの台だけである。
その台で1番上に上がると視界は3mくらいの高さになる。自分専用のナイフを使用して、吊るされた牛の1番上から下まで、筋肉や腎臓、リンパ節の状態などをチェックするのである。
360度上から下まで隈なくチェックするには、枝肉を手で動かしたり、回したりする必要があるのだが、これが超重い。思えば牛って体重600Kgとかあったりする。枝肉の状態の牛は、既に内臓は無く、縦に半分に切断されているのだが、中身がなくても半身でもやっぱり重い。足腰にもくる。育児の抱っこで腕を鍛えておいて良かった。人生、何が役に立つか分からない、などと思う。
検査に集中していると、もはや吐き気など忘れた。しかし、安全ベルトを装着しつつ、3mほどの視界で台から身を乗り出して重い肉の塊を必死に動かしていると、時折ふと「何してるんだっけ?自分」と我にかえり、不思議な気持ちになった。

さらに、その翌日、私は内臓の検査をするポジションにいた。
1mくらいの台に立った社員さんが、皮を剥がれた牛のお腹を縦に切り、中の臓器を出していく。その臓器はベルトコンベアーに乗り、私の目の前に流れてくる。最初は、消化器(食道から胃、腸、肛門まで繋がった状態のもの)がやってくる。これが、超でかい。牛は胃が4つあるが、その一つはバランスボールくらいあるし、消化器全体の横幅は自分が両手を広げたくらいはある。初めてなので他の獣医師に教えてもらいつつ、それらを「よっこいしょ」と検査できる位置に整え、定められた場所にナイフで切開し、腫瘍や壊死がないか等検査していく。終わったら、またベルトコンベアーを流す。その先では、胃や腸を「ハチノス」「ホルモン」などの商品として出荷できるよう処理する社員さん達が待っている。この検査に与えられた時間は、せいぜい1分ほど。そうでないと次の臓器がすぐにやってくるのだ。
次にベルトコンベアーに流れてくるのは、心臓と肺と肝臓。これらも決められた方法で、心臓については切開し、病変の有無を確認する。肝臓は中身の汚染を防ぐため切開はせず、表面を隈なくチェックして、病気の有無を見定める。そうこうしていると、横隔膜もやってくる。
これら全て、数分間もかからないうちに終えないと、次の牛の臓器が待っている。病変があるとその臓器は廃棄することになるが、その判断も初心者ゆえ迷う。モタモタしていると、社員さん達の顔が険しくなる。内心申し訳ない。次から次へと臓器が追ってきて、自分の検査が追いつかないのは若干恐怖である。気がついたら、無駄な動きが多すぎて、作業服やヘルメットが血まみれになっていた。

現場に立ってはみたものの初心者の私は、しばらくは研修の身となり、指導してくれる熟練獣医師がいた。
この道30年以上という、定年退職したOB獣医師である。その熟練さゆえに非常勤としてと畜現場に立ち続けている方だそうだ。
私は、内心密かにその方を「教官」と呼ぶことにした。
何かあると教官から呼ばれ、「おい、この肝臓、30秒で診断してみろ」。するするっとベルトコンベアーで肝臓が私の元に流れてくる。(ちなみに牛の肝臓も数Kgあって超重いです。)「え、えーと。点状出血あり…うーん○○ですか?」などと言うと「違う!壊死もあるだろう」などとのやりとりを最初は毎日していた(そして、ポンコツな私は今も時々している)。
教官には本当に頭が上がらない。

勤務を終えて子どもを保育園に迎えにいくとき、自分の匂いが気になるようになった。それでも、子どもたちはぎゅうっと抱きついてきてくれる。仕事のすぐ後だと、牛の枝肉や臓器との対比で、2歳と4歳の娘を同時に抱っこしても羽のように軽く感じるようになった。(仕事に慣れた今ではそんなことなくなりましたが。)

現場では、今はもう研修の立場を卒業し、ポンコツながら1人前となった。
しかし、命と日々向き合っていることには変わらない。
寒い日の朝、生きている時の牛から立ち上る白い息。時折聞こえる鳴き声。放血するときの社員さんたちの真剣な表情。ベルトコンベアーに流れてくる臓器のあたたかさ。今では臓器に追われず、時間的な余裕も出てきたが、毎回次の臓器が出てくるまでは張り詰めた気持ちになる。切開されている牛の体を見ながら「命と向き合っているのだから、真剣に検査をしなくては」と思う。そして、食べる人々が、病気の肉を口にすることがないよう、安全にお肉を届ける一端を担いたいと思っている。(まだまだポンコツで修行は続く…。)

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