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小説で行く心の旅⑩「武蔵野」国木田独歩

昨年に引き続き、今年も素敵な小説をご紹介して
行きたいと思います。よろしくお願い致します。

昨年から始めた「小説で行く心の旅」第十回目は
国木田独歩さんの「武蔵野」をご紹介します。
「武蔵野」は約120年前の東京・渋谷区道玄坂に住んでいた独歩さんが、自宅も含めた武蔵野エリアを散策し、その風景を描いた作品です。

武蔵野エリアの範囲設定はあいまいのようですが、現在は「埼玉県川越以南、東京都府中までの広範囲」になっています(広辞苑)。明治維新の「廃藩置県」で旧「武蔵國」が埼玉県、東京都、神奈川県に三分割されました。その名残からこの一都二県付近が今も武蔵野と呼ばれるのでしょう。いずれにせよ、東京を含めた広い範囲を今も武蔵野と呼び、地形学上の「武蔵野台地」が範囲としてわかり易いと思います。

一般社団法人 災害防止研究所HPより

約120年前、明治時代の東京とその近郊はどんな様子だったのか。当時の写真は少なく、その風景を文章で詳細に伝える貴重な作品です。

※「武蔵野」は1898年(明治31年)に「国民之友」に発表された作品。発表時の作品名は「今の武蔵野」だったが1901年に初の作品集『武蔵野』収録の際「武蔵野」へ改題した。
※「国民之友」は徳富蘇峰により1887年に創刊された日本初の総合雑誌(政治・経済・社会・文化全般についての論評などを掲載する雑誌)
※「国木田独歩全集」2(学習研究社)より

国木田独歩さん(1871〜1908年)
小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。
千葉県生まれ。本名は哲夫で幼少期は亀吉と呼ばれた。東京専門学校(現・早稲田大学)英語科中退。
1894年、23歳で「国民新聞」の記者となり、同年開戦した日清戦争に従軍記者として参加。記事が評価され一躍有名になる。
1896年(明治29年)、東京府豊多摩郡渋谷村(現・東京都渋谷区)に居を構え作家活動を開始。
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」「酒中日記」「少年の悲哀」「運命論者」「正直者」「巡査」「窮死」など数多くの作品を発表し、夏目漱石や芥川龍之介らが高く評価した。
1903年頃から雑誌編集も手掛け、現在も続く「婦人画報」を創刊した。
1908年6月23日、結核により37歳の若さで死去。絶筆は「二老人」

岩波文庫「日本近代短編小説選」明治篇1 他より

【 あらすじ 】

※ネタバレを含みます、ご注意ください。 

東京・渋谷から古戦場に想いを馳せて

「自分」は江戸後期に作られた地図に「小手指原久米川(※1)には『太平記』に書かれていた源平合戦の古戦場があった」と書かれていたのを思い出し「絵や歌でしか知らない昔の武蔵野を見てみたい、どんなに美しかっただろう」と語り、物語が始まります。そんな事を考えたのは「自分」が住む渋谷村から見える、武蔵野の美しさに強く惹かれていたからでした。
※1 現在の埼玉県 所沢市北野付近

美しい武蔵野に心惹かれて

「自分」は今の武蔵野の美しさは、昔と比べて変わったのだろうかと考えます。そして今見る武蔵野の景色は大変美しいのだから、今も昔も変わらないだろうという答えを出します。その答えを補足すべく、秋から春にかけ自分が見て感じたことを綴った日記を引用し、武蔵野の美しさを伝えて行きます。

夏から秋に変わって行く武蔵野を見て「大空と野との景色が断間なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしく極めて興味深く自分は感じた」ことをきっかけに、その景色を日記に綴っていたのでした。

武蔵野には落葉樹の林が一面に広がっており、秋には紅葉し、冬には葉を落とすなど季節と共に景色の表情は変わり、「自分」はツルゲーネフの「あひびき」(※2)を引用しながら、その美しさを詳細に伝えて行きます。

※2 「あひびき」は二葉亭四迷が1888年に発表した翻訳小説。ロシアの作家イワン・ツルゲーネフの短編小説『猟人日記』の一節を逐語訳した。

自然と生活が密接する、唯一無二の地


暫くして地方の友人から手紙が来て「地元で散策する時は、相容れない人に出くわさない道を選び、気の合う人とは同じ道を歩く」と書いてありました。「自分」は武蔵野の散策は全く違い、会いたくない人を避けても突然出くわしたり、会いたい人に会えない事もあると語ります。
武蔵野散策では迷路のように入り組んだ小径を迷い、林や草原が入り乱れている中で暮らすさまざまな人に偶然会う。自然と人の生活が密接している武蔵野だからこそ迷い、予想だにしない出来事に会い、そこから得るものが沢山あると述べ、こんな光景は他のどこにもなく、武蔵野だからこそ得られる体験だと語ります。

他の友人からは、都会の東京は武蔵野の範囲から外すべきだと手紙が来ます。「自分」は都会を含めた人の暮らしと自然が入り交じる景色があってこそ武蔵野であると考えます。自然豊かなこの地で、都会の人も田舎の人も、それぞれ小さな自分の物語を持って生活している。そんな武蔵野の風景に「自分」は強く惹かれているのだろうと語り、物語の幕が下ります。

【読後感想】

美しい、読む動画

私の曽祖父は、この作品が発表された頃から東京都渋谷区に住み始め、実家の人々は平成まで渋谷区に住んでいました。父から聞いた話では明治時代の渋谷は田舎で、多くの畑や水車があって、タヌキが沢山いたそうです。実家には昭和初期の写真しか残っておらず、父の話を聞いても明治の渋谷は想像もつきませんでした。

渋谷川と宮益橋(明治34年) 東京都HPより

この作品を読むと、一面の落葉樹林、鳥の声や風のささやき、月の光など自然豊かな当時の渋谷村の風景が鮮明に伝わって来ます。作者の美しい表現は音や動きを生き生きとせ、まるで読む動画のようでした。
毎年ハロウィンでスクランブル交差点がお祭り騒ぎになる渋谷が、120年前はこんなだったのかと驚くばかりです。明治時代の渋谷の映像記録は殆どないと思いますので、当時の風景を詳細に、音と動きも伝える貴重な作品だと思いました。

そして何より、独歩さんの美しい文章表現に心打たれました。繊細でありながら心温まる表現が素敵でした。私は特にこの日記の一節がとても好きで、綺麗な景色の中に可愛いワンコの姿がぽつんとあって、ほっこりしました。

午後犬を伴ふて散歩す。林に入りて黙座す。
犬眠る。水流林より出でゝ林に入る、
落葉を浮かべて流る。

作中 9月26日の日記より抜粋


二葉亭四迷さんが翻訳したツルゲーネフの「あひびき」が長文で引用されていますが、こちらも落葉樹林や自然をとても美しく表現しています。自分も落葉樹林の中に佇んでいるような気持ちになりました。読後に余韻が残り、繰り返し読みたい作品です。

迷路のような武蔵野で迷う事を楽しみ、
何かを得る。独歩さんが人生の歩き方を教えてくれているように思いました。美しい自然の中で、
人の暮らしを見つめる作者の暖かさを感じます。

独歩さんが自分の目で見、心で感じた景色を綴った素晴らしい作品です。その表現方法は多くの人に影響を与え、この作品は120年以上経った今も沢山の人に愛されています。

一面に広がる美しい武蔵野の景色。
120年前の東京へ、作者と一緒に
心の旅をしてみませんか?

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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