ajagon

2017年1月6日から2年(…3年になるかも?)、日本語専門家としてカザフスタンへ赴任。日本語教育について、カザフスタンについて、日々の生活を備忘録として綴っていきます。

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2017年1月6日から2年(…3年になるかも?)、日本語専門家としてカザフスタンへ赴任。日本語教育について、カザフスタンについて、日々の生活を備忘録として綴っていきます。

最近の記事

2月17日~19日 再会と出会い。繋がる人間関係

最初の派遣前研修で一緒だったキルギスの専門家のMさんが、国立大で行われるカンファレンスで発表をされるためにカザフへいらっしゃることに!彼女とは不思議な縁で…。私の従姉妹がJICAでキルギスへ行っていたこともあって、キルギスへ行くMさんに研修の時に話しかけた。色々話していたら「もしかして、瀬川さんってご主人がJICAでインドネシアへ行っていませんか?」と聞かれ驚いた。「え?どうして知ってるんですか???」「実は私この前までJICAでインドネシアへ行ってて、インドネシア情報をお伝

    • 2月15日ゆっきょの誕生日(お祝いは20日)

      去年はインドネシアジャカルタで迎えたゆっきょの誕生日。今年はカザフ。毎年誕生日はお食事に行くことにしているので、さて今年はどうしよう??そんなに選択肢がある訳でもないので、近所にある唯一の日本食レストラン「sumo-san」へ行くことにした。(経営自体はカザフ人で日本人はいない) 15日は私の仕事で遅くなる日なので、週末…と思ったんだけど、週末も予定がいっぱい。で、翌月曜日。私の早番の日にお店の前で待ち合わせ。 メニューが想像以上に多く、(日本食ばかりではない)迷ったけど

      • 2月13日(月)いよいよ授業スタート✿

        今期の私の担当コマは、火・水・木の夜。それぞれ1コマ。なので、本当は月曜日の授業はない予定なんだけど、今日は初回代講となって、初級の一番最後のレベルのクラスに入ることになった。人数も多めの18人。日本では20人クラスだったから、逆に少人数よりやりやすい。 そして初授業。日本人に飢えている(?)事もあり、みんな元気に色々がんばって話そうとしてくれて。ホント!楽しかった!私自身半年ぶり…いやそれ以上振りの授業なので、授業の雰囲気に飢えていたのかも。 授業がある日は遅番で、11

        • 2月6日~講座スタート前1週間のバタバタ

          連続出張も終わり、カラオケコンテストも終わり…。いよいよ来週から春コースのスタート。最初の写真は私がセンターで使っている机の上。JF講座はここに並んでいる『まるごと』のシリーズを使って行われる。しかし今回現在あるすべての本を終えてしまったクラスができてしまった。続きの本がない。 その事実は今回ここに来る前から分かっていたので、続きで使えそうな本を数冊購入してきた。その中の一冊を、JFスタンダード準拠に再編成して、毎回の「Can-Do」も考えつつ教科書作りからスタート。 語

          2月4日あじゃも・ゆっきょカラオケで大熱唱の巻

          今年で3年目を迎えるKJCのカラオケコンテスト。今年はユニバーシアードと日程がバッティングし、どうなるかと言う感じだったけど、まあ、何とか形になるくらいに出場者が集まってくださった。その審査をすることになる→審査員は歌を披露しなければならない→一人じゃヤダ!!→ゆっきょ巻き込むで、一緒に歌ってもらう事にした。デュエットと言う事でいくつか候補があった中で、カラオケがすぐに探せた絢香×コブクロの『Winding Road』に決定。アスタナ出張もあり、あまりちゃんと練習はできなかっ

          2月4日あじゃも・ゆっきょカラオケで大熱唱の巻

          2017年1月31日・2月1日アスタナ出張、再び

          再びアスタナ出張です。今回は一人旅…。う、心細い!!!!早朝にバグランさんがマンションの下まで迎えに来てくれて、空港まで。早朝にもかかわらず、ゆっきょも起きてくれて、朝ごはんを作ってくれたので、空港ではゆっくり搭乗時間を待つだけ…。だったのだが、やっぱりトラブル発生!!!! セキュリティーを通って空港内に入り、チェックインを済ませ荷物も預けて。最終の再度セキュリティーを通過しようとしたら、女性の係員が来て何やら言っている。当然何を言ってるか分からない。でも身振りでどうも呼ば

          2017年1月31日・2月1日アスタナ出張、再び

          1月25日~日常とKJC修了式

          1回目のアスタナ出張も無事終わり、これから本格的に日常を整えていかなければ。まずは、自宅での食事…。まだまだお昼はお弁当ではなくて、学食?で。上のお料理は1000〒くらいのもの。350円くらい。 26日はKJCの修了式。各クラスごとの出し物もあったりするらしい。まだクラスも担当していないのに修了式の準備はちょっとピンと来ないが、まあ、お手伝い。基本的にここのセンターは現地の先生方が準備をテキパキと行い、私が手伝うのは日本人でなければできない部分のみ。司会者の日本語の原稿チェ

          1月25日~日常とKJC修了式

          1月18日~24日極寒のアスタナ出張

          赴任早々にアスタナ出張。今回のメインはビザ申請。公用旅券ビザ無し渡航が認められるのは1か月らしく、それ以上の滞在にはやはり現地でのビザ申請が必要。でなわけで、大使館があるアスタナへ。そして、同じタイミングでアスタナの教師研修も組まれているので、それにも参加。そして、私の派遣先であるKJC日本センターの分室がアスタナにあるので、そこも視察。そして、大使館の表敬訪問。さらにさらに、ちょうどこの時期に行われる大使公邸での新年賀詞交換会にも参加。+、今回大使が企画してくださった日本語

          1月18日~24日極寒のアスタナ出張

          2017年1月11日~はじめの1週間~口座開設、онайカードを手に入れるetc.

          センターへは毎日バス通勤。バスは1回距離時間に関係なく〒80(この〒はこちらの通貨テンゲのマーク!また換算の目安はテンゲを大体3で割ってもらえれば日本円。〒80は大体25円ちょっと。以後お見知りおきを!)。毎回バスに乗る時に小銭を用意するのは面倒。で、バスで使えるонайカードなるものを手に入れると便利になるのだが…。 онайカード。これはアルマティ市内のバスや地下鉄で使えるICカード。地元福岡で言えば「nimoca」や「sugoca」のようなもの。しかしこのカード、入手

          2017年1月11日~はじめの1週間~口座開設、онайカードを手に入れるetc.

          2017年1月8日~ お引っ越し業務開始あれこれ

          8日はゆっきょと二人、昨日Oさんに教えてもらった「マグナム」と言うコストコを半分くらいにした感じのところへお買い物に。明日から私は業務開始なので、今日ある程度必要な買い物をゆっきょと済ませておこうとバスに乗り込む。この町、バスの時刻表は存在しないけど、路線は色々あって、それぞれ大体定間隔で運行している。バスがなかったピッサヌロークに比べたらかなり便利! 洗剤やタオル類、シャンプーリンスなど、まず最初に必要なものを買って、新しく住むことにした部屋に直接持って行く予定でいたんだ

          2017年1月8日~ お引っ越し業務開始あれこれ

          2017年1月7日(土) カザフ1日目

          ほぼ予定通りカザフスタンに到着。お迎えの車に乗り込みお世話になる予定のOさん宅へ移動。深夜の到着にもかかわらず、起きて待っていてくださっただけでもありがたいのに、色々なおもてなし。 翌朝、素敵な朝食。写真は撮ったけど、アップしないとのお約束なので、写真はなし!でも、トルコ風のリング状のパンや目玉焼きサラダ、と心温まる朝ごはん。 朝食後覚悟を決めて寒い外へ。まず目指したのは公証役場。そこへ行くまでの間に教会があり、ナント今日はロシア正教でのクリスマス!と言う事で、異教徒の私

          2017年1月7日(土) カザフ1日目

          2017年1月6日(金)出発

          いよいよ出発。飛行機の時間は14:50と少しゆっくり目。 ホテルをチェックアウトして、バスで空港まで。空港には前ぴょん、しまこが見送りに来てくれてた。ありがとう!前ぴょんと涙の別れをして、チェックインカウンターへ。 ここでトラブル発生。ビザ無し片道切符。色々質問される。なんとなく釈然としていない様子だけど、私たちのパスポートは公用のものなのでなんとなくチェックインできて搭乗券を渡された。 最後の和食昼ごはん。 食事を終えてエスカレーターを降りていると、上りエスカレータ

          2017年1月6日(金)出発

          カザフスタンへ出発までのこと

          カザフスタンでの生活を、備忘録のようにまとめておこうと思い立ち、以前のブログを再開しようと思ったんだけど、管理者ページへのアクセスが重いのかままならず…。友人が使っていたこのnoteで、書いていこうと思います。 2016年9月25日出発予定。ビザ取得が難航して延びに延びて、2016年年末にやっと手元に。結局2017年が明けてすぐ1月6日の出発となりました。その間、実家でなかなか大変な日々。父の事。母の事。父は家で生活することはとても困難な状況なので施設に入り、母は私が出かけ

          カザフスタンへ出発までのこと