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あとで、じぶんたちをよろこばせてくれる「仕事」のこと、と8月12日の日記

昨日、ある人が今週末に展示を予定しているという投稿を読んだ。

その人は、ぼくがこの仕事をしていなければ、出逢えなかったであろうクリエイターだった。

なんとなく内容が気になったので、仕事用のインスタアカウントでその告知をストーリーズに流したあと、自分のプライベートなアカウントに切り替えて、そのことについて触れつつストーリーズに書いた。

そうしているうち、その子と出逢った頃の記憶が蘇り、もう3年も経つのだという事実に気づいた。

少しだけほっこりと、あたたかい気持ちに包まれた。

加えて「これが仕事なのか」と思った。

さらにその時に「ある人の文章」がぼくの頭に浮かぶ。

断片的にだけど、ほぼ明確に。

そのときは、近くに参照するものがなかったから、記憶をたどって書いたのだけど、今は手元に雑誌の1ページがあるので、間違いを広めないように参考にしながら一字一句書くことにする。

「ある人」というのは、ぼくのnoteに幾度となく登場する人物、糸井重里さんだ。

書かれた内容は、こんな言葉だった。

"「仕事っていうのは、がんばってやっておくものだよ」と、ぼくが後輩に言うのは、このゲームの制作のように、ずっと時間が経ってからも「やってよかった」とつくづく思えるようなことが、ほんとにあるからだ。"

ここで、「ゲームの制作」とあるのは、あの有名な「MOTHERシリーズ」のことだ。

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そして、そのコラムの最後は、こう締めくくられる。

"仕事って、あとで、じぶんたちをよろこばせてくれるんだ。"

この文章が浮かぶいうことは、ぼくにとってはその時は、"なんとも言えない肯定的な感情"だったに違いない。

そして、目にしていたこのクリエイターの展示については、ちょうど今週末近い場所に用事を入れていたこともあるので、立ち寄ってみようとも思ったのだった。

投稿したストーリーズを「#備忘録」というハイライトにまとめて忘れないように予定にも書き込んでおいた。

こうやって、過去に仕事を通して「誰かある人」に出逢う。

数年後、また形を変えて再開する。

まぁまぁ月並みな言葉で言うと「ご縁」というようなものを、ぼくは噛みしめて生きていたいと強く思っていたりする。

最近、これまで自分は「仕事」を通してどんなことができたのだろうか?ということを振り返ることが多くあった。

#思考の棚卸し

夏休みもあり、少し思考のバッファが生まれたことも関係しているかも知れない。

考えに考え、絞りに絞った"思考の絞りかす"の中にある核心の部分はいつでも、「人との関わり合い」のことだった。

"じぶんをよろこばせてくれた"と心から感じている時、ぼくの心がぼんやりと見つめているその先には必ず、「人とのご縁」がある。

だからやっぱり、このことはこれからも大事にしなきゃいけないな、とあらためて感じたのでした。

あともう一つ「仕事」というものについて、文章を引用したい。

もちろんこれも糸井さんの文章。それも「取材」についてのこと。

"人に、なにかを訊かれずに生きてきたら、
ぼくは、いまよりも、ものを考えなかったろうと思う。"
"訊かれる内容は、わりに似てくるものだけれど、ぼく自身の変化がめまぐるしい時期には、
考えてなかったようなことも、質問されるようになる。"
"「そのことは、とても大事そうなんだけど、
言えるようなかたちで考えたことがなかったな」なんて思うような質問をきっかけに、
じぶんの考えやら思いやらが整理されていく。
その経験が重なるほど、たぶん、人は成長すると思う。
「わからない」とか「いまは、わからない」
というようなことを正直に言いながら、
「いま、あらためてそれを考えてみます」なんて、
真剣に考えることをしはじめたら、
それは、思考にとってのものすごい鍛錬になるはずだ。"

とまぁ、少し長いのだけど、こんな感じの文章。

簡単に言えば、自分がインタビューや取材を受けることで、一人では考えていなかったようなことを考えるきっかけとなり、それをあらためて深めることによって、またより一層"考える人"になってきたのだ、ということ。

ぼくは自分自身の仕事において「このような瞬間」に聞き手(インタビュアー)として立ち会っていることが多い。

それもまだ、年若い20代そこそこのクリエイターに対してだ。

流暢な「言葉」で、うまく答えられるクリエイターもいれば、技術や作品の精度、アウトプットの質が先行していて、的確に「言葉」にできていない人もいる。

能力が高いだけに、人に説明できないと必然的にできる規模感が限られてくる。もったいないこと。

人は、自分が思っているほど物事について深く考えられてはいないと思う。

それは時間がないとか機会がないとかいろいろ理由はあるけど、つまりは「胆力を出すのが面倒だから」という結論に落ち着く。

ぼくも、こうして毎日書いていることで日々そのことを痛感せざるを得ない。

考えることはとてもハイカロリーな運動だし、まず「自分で自分に一問一答」をしていかないといけない。

質問を考え、それに自分答えていく。これを一人でやるのは、年齢に関係なくとても大変なことだ。

その点、インタビューをしたり、取材で話すことは、話の中のリズムで自然と聞たり、答えたりすることができる。

もしその時答えられなくても、「それを考えていなかった」という事実だけはしっかりと残る。

ぼくが仕事でやってきた、もう一つのことはこれで、相手が言語化していない"モヤッとしているけど肯定的な何か"を「あるなぁ」と眺めて、外からゆっくり引っ張り出していくこと。

それが結果的に、相手の課題解決に結びついたり、およそ決定打にはならなくても、「わからなかったことが明らかになる」ことで、いつも相手のお役に立ってきた気がする。

「専門知識」や「業界知識」がなければない分、普段とは違った角度、力加減で訊くことができる。

「わからないこと」自体は、相手への敬意を持ってさえいれば、失礼にあたることはない。

今までぼくが「仕事」を通じて大事にしてきたこと、その底の部分にある「当たり前過ぎてこれまで言葉にしてこなかったこと」を、今回は自分なりに明らかにしてみた。

一つのインスタ投稿をきっかけにして引き出せることが、こんなにもあるんだなぁと感心する。

普段は見えないところにおもしろい「知の積層」が眠っているのは、自分についても例外ではないと思う。

あとで、じぶんたちをよろこばせてくれる「仕事」というものについてでした。

 *

8月12日(水)

夏休み明けの週、2日目。

朝、6時過ぎに目覚める。朝の光が強くて、目覚めがよくて助かる。ウォーキングへ。

帰宅後、コーヒーを淹れて妻に渡し、お見送りをしてから軽めの筋トレ。

梅シロップを牛乳で割ったものに、梅干しを入れて、それを飲みつつ、朝ご飯に前日の残りの「塩焼きそば」を温めて食べる。

娘には冷たい桃をむいてそれを出す。

娘を幼稚園に連れて行く。なんという暑さ。気を確かにする。

出社したのち、noteをアップ。

午前中、ちょっと頭をリフレッシュしたく共用部にある雑誌「ブルータス」を読んだりして、最近の電動自転車は「e-bike」ということに気づく。

ちょっと欲しいなと思うと軽く20万円くらいして、ちょっと気が引ける。

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お昼は外に出て、駅近くの蕎麦切りのお店「香りや」へ。

ここは夜しか来たことなかったけど、お昼ももちろんおいしいし、何より人気店のわりに今は空いているのでありがたい。「厚焼き卵丼定食」を食べる。1,200円。

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午後は、作業を着々と。休み明け少しずつエンジンかけていくには丁度いいボリューム。手を動かしていこう。

なんだかあっという間に時間が過ぎる。19時過ぎに退社。

帰宅して夕飯は、近所の出前をとっていてくれて「冷やし中華」を食べる。

ボリュームもあってすごくおいしい冷やし中華。妻がジャニーズの配信ライブのため、早々に視聴体勢をとるための作戦だそう。

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その後はポッドキャストで「こんにちは未来」を聴く。ベッドで横になりながら聴いているとうとうとし始めたので、お風呂に入ることにする。

風呂上がり、少し眠気もあったけど今読んでいる村上春樹の「一人称単数」をパラパラと読む。

その中に出てきたチャーリーパーカーの曲を数曲流してから、ベッドに入って就寝。

なんと今週は折り返し。

体にやさしい一週間だ。


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小川大介/自家焙煎喫茶WEEKEND
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