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『氷』と書いて『永』と読め(氷/アンナ・カヴァン)
『氷』と『永』は、よく似ている。
それは、字面だけではなく。
火によって燃やされるのではなく、水で押し流されるのではなく、氷漬けにされたものは、何千何万年経過しても、その姿を維持し続ける。
それは、救いだろうか。
それとも。
*
アンナ・カヴァンの『氷』では、まさしくその氷によって、世界は終焉を迎えようとしている。
序盤では、まだ氷に浸食されていない地域もいくつかある。しかし、それも時間の問題だ。どこへ逃げようと、無駄なことだ。氷は、誰の元にも平等に訪れてしまうのだから。
そして、追われているのは――追いかけているのは、氷だけではなく。
”私”は、自らの前から姿を消してしまった少女を、執拗に追っている。文字通り、世界の果てまで。
”私”は、何度も何度も少女を目の前にする。しかし、あと一歩のところで、どうしても捕まえることができない。
もとより、”私”が目にしているのが、現実なのか妄想なのか、読者にも判別しかねることがある。
”私”の目が捉えている少女は、本当に”私”の眼前に存在しているのだろうか?
そもそも眼前の少女は、”私”が捜している少女で間違いないのだろうか?
そして、時折奇妙なことがある。少女の身に起きたことを(これも、現実なのか妄想なのか知る由もないが。)知るはずのない”私”が、まるでその場で見聞きしたかのように語り出すのだ。
何を信じればいいのか?
何を疑えばいいのか?
現実と妄想の境目は溶け合い、今”私”がどちらに足を踏み入れているのか、第三者である読者の自分も、徐々に混乱してくる。
奇妙なことは、まだまだある。
少女は、”私”の前に現れては、すぐに姿を消す。そしてまた現れ、同様に”私”を惑わせる。
なぜ、”私”の行く先々で少女は現れるんだ?
なぜ、”私”は必ず少女を逃してしまうのか?
もしかすると、すでに世界は終わっているんじゃないか?
他ならぬ、氷によって。
”私”も少女も氷漬けにされて、その中でいたちごっこを延々と続けているんじゃないか?
もしも、同じ地獄なら。
炎によって全てを燃やされるのか。
氷によって全てが停止されるのか。
はたして、どちらがいいんだろう?
*
『”私” .zip』
『少女 .zip』
どちらも圧縮され、永遠に解凍されることはなく。
フォルダ『氷』に、『名前を付けて保存』。
氷/アンナ・カヴァン(翻訳:山田 和子)(2008年)
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