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あなたの名前を、(よいひかり/三角みづ紀)
「お元気ですか」
「元気ですよ」
「そちらの街は、どうですか」
「すてきですよ。あなたの街と同じくらい」
「たとえば、スープを作るとき。
じゃがいもを、にんじんを、玉ねぎを、あとベーコンを切って。しめじは、もともと切ってあるのを使って。出来上がったスープは、コンソメと秋の匂い。
あなたにも、届いているといい。」
「たとえば、インクを変えるとき。
新しいインクを手に入れた。色はもちろん、名前がすてきな。夕暮れとか夜明けとか、眠っている内に過ぎていく時間を冠した。すべて集めると、すべての時間を手にした気になる。もちろん、そんなことはないんだけど。ぼくが選んだそのインクを、万年筆へ補充する。
あなたへ、手紙を綴るために。」
「たとえば、鍵盤に指を乗せるとき。
ぼくは、ピアノが弾けない。でも、ピアノの音は好き。たとえ曲らしい曲を弾けなくても、人差し指で鍵盤を押すだけで、満たされるものがある。ぽん。ぽん。時々、でたらめに弾くこともある。そんなとき、あなたを隣に感じることがある。見えないあなたと連弾する。曲らしい曲が聴こえる錯覚。
あなたは、ピアノが弾けただろうか。」
「たとえば、目的もなく歩くとき。
きれいじゃないぼくは、きれいなものを見つけるのが得意。きれいなものは、きれいなあなたに見せたくなる。けれどそんなとき、あなたはそばにいいない。写真に残しておくけど、なにかが違う。きれいなあなたに、きれいな目で、きれいなものを見てほしかった。
あなたは、あなたをきれいだと思うだろうか。」
「たとえば、ことばが頭を巡るとき。
きれいとはいえない、むしろ汚れている。そんなことばが、頭を占拠する。どうしたらいいのか、わからなくなる。きれいなものもあるはずなのに、見当たらない。追い出されたのか、埋もれているのか。そんなとき、あなたの声がする。あなたは、汚れをさっさと払って、探し物を見つけてくれる。
きれいなあなたは、きれいなものを見つけるのも得意だね」
あなたは、なにも言わない。
ただ、ゆるやかに口角を上げて。
そしてまた、ぼくの生活へ溶け込んだ。
ぼくのそばにいる、あなた。
いつでも会える、あなた。
あなたの名前は、光。
日々の中にある光が、ぼくを穏やかに照らす。
よいひかり - 三角みづ紀(2016年)
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