5/28
4:54起床。
天気は曇り。
重たい雲が、空にのさばっている。
「it rains and it rains.」。
雨がどんどん降る。
最近覚えた表現。
昨日見た夢。
僕はドラえもんになっていた。
「空飛ぶ絨毯」ならぬ
「空飛ぶ風呂敷」に翻弄された。
主人公は、
のび太じゃなくてドラえもんらしく、
「空飛ぶ風呂敷」で現れて、
街の人達を驚かせるんだけど、
道すがら、強盗に遭遇してしまい、
逃げ惑うはめになった。
ようやく強盗を振り切った後、
ドラえもんはぽつりといった。
「ぼく、犬なのに」
猫じゃないんか。
その後は、
サンタクロースの衣装をつけた、
のび太としずかちゃんに会い、
「魔法の風呂敷」を使って、
子どもたちにプレゼントを配りましたとさ。
映画ドラえもん のび太と魔法の風呂敷!(CV.水田わさび)
……ひねりのないタイトルだなあ。
のび太、最後の方にしか出てこなかったし。
体の調子はいい。
いいけど、
3日前から左腕に痣ができていて。
いつできたのかわからないし、
なかなか消えてくれない。
「まっとうに生きるって、大変だ」
これは、この日記を始めるときに、
なんとなくコンセプトにしたことばだ。
それが、
日記に反映されているかはさておき。
そもそも、「まっとう」とは何か。
まっとう【真っ当】
まともなさま。まじめ。
「言うことは-だ」 「 -な生活」 「 -な人間のすることではない」
――松村明編『大辞林』第三版より引用
まとも。まじめ。
今までの人生を振り返るなら、
僕は、まっとうに生きていた。
どうして過去形なのか。
まっとうでいることに――
『まじめ』でいることに、疲れたからだ。
もちろん、
『まじめ』なことは、悪いことじゃない。
『まじめ』でいると、
他人からプラスに評価される。
「あいつは、まじめな奴だ」、
「まじめな人だから、信用できる」……。
でも僕は、『まじめ』でいたことで、
損をする方が多かった。
よくある話だと、思うけど。
優しくてきまじめな人間ほど社会の波風を浴び犠牲になることが多い。多少ちゃらんぽらんで図々しく、気持ち半分で要領良く働く人のほうが、いつも元気で、なぜか出世もしている。
――松浦弥太郎『場所はいつも旅先だった』より引用
とはいえ、『まじめ』なんてのは性分だ。
そうそう変えられるものじゃない。
それでも、
これから先は『まじめ』に生きすぎないようにしようと思っている。
他人のためじゃなく、自分のために。
じゃあ、今の僕はというと。
もちろん場はわきまえるけど、
人前でも、
『まじめ』になりすぎないようにしている。
極端に『不まじめ』になるとか、
そういう話ではなくて。
ただ「他人から評価される」ように、
『まじめ』でいるのを止めただけ。
そうするとどうなるか。
『まとも』な人間に見られなくなる。
なぜか。
僕自身、『まとも』な人間じゃないからだ。
「変わっている」
「何を考えているのかわからない」……。
それが、他人にとっての僕だった。
だから僕は、
『まじめ』でいることで、
『まとも』な人間のフリをした。
(たしか、
別の日記でも書いた気がするけど)
そんな人間が、
『まじめ』でいることを止めたんだ。
また、『まとも』じゃない方の人間として、見られることになる。
皮肉な話だ。
自分を守る行為が、
自分の首を絞める行為になるなんて。
でも、それでいい。
自らの首を絞めるくらいなら、
社会に首を絞められた方が、
よっぽどましだ。
そう開き直るのに、
ずいぶん時間がかかってしまったけど。
まともに、まじめに――
まっとうに生きるっていうのは、
誰にでもできることじゃない。
少なくとも、僕にはできなかった。
というか、できない。
「大人になれよ」って、いわれるかな。
それとも、
「人それぞれ」っていう便利なことばで許してもらえるのかな。
どちらにせよ、
周囲の僕に対する評価は変わんないけどね。
あーあ。
まっとうに生きるって、大変だ。
引用:松村明編(2006)『大辞林』第三版,三省堂.
松浦弥太郎(2009)『場所はいつも旅先だった:彼女の新しい笑顔』集英社.