うわつく(ライフタイムサウンドトラック/古川本舗)
「楽しい」ということばが、僕にはいささかむつかしい。
「楽しい」は、
仲間内で大いに盛り上がることだけを指しているように思うからだ。
もちろん「楽しい」はとてもおおらかなことばなので、
だれもいない書庫でこっそり名著を読みふけることも、
乾燥機から出したばかりのあたたかいリネンにくるまることも、
「楽しい」はすべて受け入れてくれる。
ふところが深いことばだ。
けれど、ひとりこっそり「楽しむ」ことを「楽しい」と言おうとすると、
どうも口ごもってしまう。
僕が感じている「楽しい」が「楽しい」にふさわしいのか、
首をひねっている。
おそらく、とっても偏った考え方なんだろうけど、
たぶん「楽しい」がさも心が躍っているように見えるからなんだと思う。
僕はひとりでいるとき、心が躍ることは少ない。
ひとりで踊ることもできるけど
(ひとりで踊ることを「楽しい」と思うこともあるけど)
僕にとって「楽しく」踊ることは、他の人が必要なんだと思う。
「楽しい」には、
他の人を僕の元へ攫ってくるような、強い引力があるように思う。
そう、攫ってくるのだ。
逆らえないその力に、足元からからめとられて。
そうして、場は回り出す。
「楽しくなかった」僕は、「楽しい」僕に仕立て上げられ、
僕は手をとったその人に、即興で愛を囁いたりするのかもしれない。
その人とどうしようもない昔話を披露し合いながら、
「楽しい」「楽しい」と腹の底から笑うのかもしれない。
「ライフタイムサウンドトラック」をひさしぶりに聴いたら、
そんな妄想をしていた。
この曲は、「楽しい」曲だ。
ひとりで聴いていても「楽しい」けど、
そのとき僕の頭にあるのは、
むせ返るほどの熱気のなか、この曲でひとり声を嗄らす自分の姿だ。
そこはまっくらで何も見えないけど、
浮かされるほどの熱で満ち満ちているから、人で溢れ返っているはずだ。
その中央で、僕の声だけがハウリングを起こしながらくだを巻いている。
へったくそな声がのしかかってくるせいで熱は大きくたわみ、
アルコールの入っていない僕の足元をふらつかせる。
楽しい。楽しい。
やがて喉がかすかすになって声もまともに出せなくなったころ、
ハイヒールを片方失くしてひとり探している女の子を見つける。
僕は踊りと踊りのあいだを軽やかに抜けて、
床を探っているその手を引いて、
勢いのまま女の子にそっと口づける。
倫理的にはよろしくないけど、一回くらいしてみたい。
ライフタイムサウンドトラック(「Hail against the barn door」収録)/
古川本舗