ぼくに、呼吸させてくれたもの(センス・オブ・ワンダー/レイチェル・カーソン)
ターシャ・テューダーしかり、自然を愛する人に、その愛し方に惹かれる。それは、ぼくも子どものころ、自然を愛していたからだと思う。
針葉樹の葉は銀色のさやをまとい、シダ類はまるで熱帯ジャングルのように青々と茂り、そのとがった一枚一枚の葉先からは水晶のようなしずくをしたたらせます。
――本文より引用
レイチェル・カーソンが目に見えるものを例え、それを想像し、その度に思い出す景色があった。どれも、子どものころのもの。自然が身近で、けれど人は身近じゃなかったころの。
閉鎖的な環境で、友達になりうる人は限られていて、いつからか、無理には遊ばなくなった。下手な愛想笑いをするより、近所の川辺に座ったり、農道をふらふら歩く方が好きだったし、性に合っていた。
子どもたちは、きっと自分自身が小さくて地面に近いところにいるからでしょうか、小さなもの、目立たないものをさがしだしてはよろこびます。
――本文より引用
てんとう虫やだんご虫を、指先に乗っけるのが好きだった。アマガエルを手のひらに乗せるのも。(今考えれば、皮膚が乾いてしまうので、酷なことをさせてしまったと思う。)庭の地面を、指先から手首まで全面を使って、撫でるのも。成人くらい背丈の、あまり高くはない木に上ったりもした。(どちらかといえば、しがみついていた。)
書き始めると、ぽろぽろ思い出してくる。
そんなときは、大抵一人だった。友達も兄妹もそばにいなかった。ぼくは、ずいぶん安らいでいたと思う。そして、幸せだったと思う。すべて、ぼくだけが見つけた宝物のようだったから。月並みだけど、他にどう表せばいいのかわからない。
自然がくりかえすリフレイン――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。
――本文より引用
今では、いや、それよりもっと前、中学校に上がったくらいから、自然より人に触れる方が多くなって、ぼくはだんだん苦しくなった。どこにいても、ひとりになれなかった。
誰にも干渉されない唯一の時間は、部屋の明かりを消して、家族に眠ったと思われてから。(自分の部屋があって、本当によかったと思う。)ぼくは窓を開けて、夜の空気にさらされた。それから、部屋は2階にあったから、手を伸ばせば簡単に瓦屋根にさわれた。昼時の熱が残っていて、あたたかかった。
人に苦しんで、自然に救われていたこと。他ならぬ人に救われる今も、忘れそうになる。大切だった、今も大切な数々を、忘れないでおきたい。
センス・オブ・ワンダー - レイチェル・カーソン(訳:上遠恵子)(文庫版:2021年)