2分20秒の奇跡(2分20秒の音楽 #1/山出和仁)
毎晩、夜9時。
そこでは、奇跡が起きる。
*
山出和仁さん。
作曲編曲家。
(「さっきょく・へんきょくか」もしくは、「あいびょうか」と読む。)
彼のツイッターアカウントでは、毎晩21時に、#2分20秒の音楽 が投稿される。
2分20秒。
ツイッターで動画をアップロードするときの、上限時間。
上限。
制約。
制約の中で、彼が生み出す音々は、自由に舞う。その舞は、目にした人々を――耳にした人々を魅了する。僕も、その一人だ。
21時になる。僕は、投稿されたそれを、再生する。その瞬間、目の前の景色が変わる。
ソコは、真っ黒だったり、真っ白だったりする。真っ赤だったり、真っ青だったりもする。ソコは、日によって色を変えるのだけど、唯一、変わらないものがある。
ソコには、いつも誰かがいる。
2人。
必ず、2人いる。
2人は、何かを喋っている。
時には、肩を抱き合って語らい、
時には、頬を赤くして言い争う。
どちらにせよ、僕は、彼らに関与できない。なぜなら僕は、2人がいる場所から、随分離れた場所に立っているから。彼らに近付くことも、彼らを遠ざけることも、できないから。
だから、想像する。
彼らが、何を喋っているのかを。
彼らが、何を見せているのかを。
(ある日の21時)
僕はもう一度、彼らに目を向ける。
彼らは、すでにいなくなっていた。
ここは、ソコじゃなくなっていた。
僕がいる場所は、真っ黒でも真っ白でもない、ただの自分の部屋で。気付けば、スマートフォンは沈黙していて。目の前には、「もう一度見る」の文字があるだけで。
僕は、目を閉じる。
あの2人を、思い出そうとする。
2人の顔を、思い出そうとする。
朧な記憶の輪郭をなぞっていく。
僕は、思い出す。
どちらも、同じ顔だった。
どちらも、僕の顔だった。
そして――これも、いつものことだけど――思い出した瞬間、彼らの顔を忘れてしまう。(自分と同じ顔なのに、忘れてしまうんだ。)僕はそれを、ほんの少しだけ、寂しく思う。でも、そんな思いも、すぐに忘れる。
だって、知っているから。彼らに、また会えることを。次の夜に――翌日の21時に。
*
毎晩、夜9時。
そこでは、
誰もが詩人になり、
誰もが歌人になる。
2分20秒の奇跡。
2分20秒の音楽 #1/山出和仁(2019年)