モネと蜜月(『睡蓮の池』のポスター)
10年前。ぼくは、恋をしていた。暇さえあれば、会いに行っていた。通っていた高校の特別教室棟。その中でももっとも人気のない階段。1階から2階へ上がる途中の踊り場。他には何も貼られていない掲示板。そこが、モネの『睡蓮の池』の居場所だった。ぼくは壁にもたれかかって、ときどき触れたりして、蜜月を楽しんだ。
存在に気付いたのは、いつだっただろう。モネが好きだったぼくは、すぐに虜になった。ポスターとはいえ、PC以外でモネの絵を見る機会はほとんどなかった。
卒業前、『睡蓮の池』と離れがたかったぼくは、譲ってもらえないか先生に頼み込んだ。だめだと思っていたのに、ぼくがよほど気に入っているのを見てか、あっさり承諾してもらえた。先生が画鋲を外し、『睡蓮の池』を掲示板から剥がした様子は、今でも覚えている。
以来、進学して、就職して、実家に戻って、また一人暮らしを始めたぼくの部屋には、いつでも『睡蓮の池』がいた。もちろん、今も。今は、玄関に貼っている。アパートに帰ってきたら、出迎えてくれるように。
ポスターはリバーシブルで(譲ってもらったときに判明した。)裏にも表にもそれぞれ違う『睡蓮』が描かれているけど、表にしているのは、あの頃と変わらず、ぼくと親密な『睡蓮』だ。(もちろん、どちらの『睡蓮』もすばらしい。)
「譲ってくれ」とわざわざ申し出て手に入れたものは、たぶん『睡蓮の池』だけだと思う。それだけ、ぼくは惹き付けられていた。卒業したら、一目見ることも叶わなくなる。それを考えただけで、いてもたってもいられなくなった。もともとは誰かのものだったけど、あの『睡蓮の池』をよく見ていたのは、他ならぬぼくだった。
ぼくは、今も恋をしている。出かける度。帰る度。『睡蓮の池』は、そばにいる。「会いに行く」のも、楽しみだったけど。「そばにいてくれる」のも、幸せだ。
10年以上前のものだから、ところどころ小さな裂けめがあって、ほんの少し褪せている。それでも、美しい『睡蓮の池』。
思えば、もとの持ち主に「譲ってくれ」と頼み込むのは、「娘さんを下さい」と婚約者の実家に挨拶に行くのと似ている。なんて。
ぼくが死んで、火葬するとき、一緒に燃やしてもらうのが、夢だったり。それまで、どれだけぼろぼろになっても、そばにいてください。
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