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【小説】お気に入りのバー

「ふふふっ」
「なにか楽しいことでもありましたか?」
「ふふっ、あのねぇ」

そう問われて、私は呂律の回らない舌で話はじめる。私の話を聞いてくれるのはいつだって彼だ。
小さなカウンターのみのお店。このお店を見つけたのは、本当に偶然だった。彼氏に別れ話を切り出されて、泣きながら歩いていたら見つけたお店。
でも「見つけた」というのは少し語弊がある。「出会った」という方が正しい気がする。

その日は泣きながら歩いた所為か迷子になった。もう6年も住む場所にも関わらずだ。夜空には月と星、街灯がジジッと音をたててたまに消える。周りは民家ばかりで見覚えのない場所。
今年、25歳にもなる女が迷子になるなど笑えない。さすがに涙も止まった。慌ててスマホを取り出すも、そうだ充電が切れたんだ、ということを思い出してそっと鞄にしまった。

月明りに照らされた道をのろのろと歩き出す。どこに向かっているのかもわからない。けれど、ここで歩みを止める訳もできず。せめてお店があれば……という小さな希望を胸に私は歩いた。

しばらく歩くと住宅街の中、まるで民家と見間違うようなシンプルなお店を見つけた。中が覗けるような窓もないが、シンプルに「Bar  3f」の文字の書かれた看板のみが扉にかかっている。看板がかかっているのなら、やっているに違いない。

というか、ここしかない、と直感した私はためらいなく扉を開けた。あまり使われていなかったのか、と疑うほど鈍い音と共に扉が開く。中は思ったより狭くカウンター席が数席あるだけの小さなお店。木を基調としており、茶色が心を落ち着かせてくれる。一度大きく吸い込んで、心の底から安堵の息を吐いた。

数度、深呼吸してようやく落ちついた私は、そこでふと変だなと思った。人がいない。私がこのお店に入ったというのに、奥から人が出てくる気配もしない。

「どうしよう……」

そうこぼした時、チリン、と小さな鈴の音が聞こえた。
音を探してきょろきょろと見回していると、カウンターの奥の扉が開いて男性が出てきた。恐らくこのお店のマスターなのだろう。年齢を経て刻まれた皺が老人と言ってもいいくらいだが、アイロンのかけられた洒落たチェック柄のシャツにループタイ。そして、姿勢の良さに若さを感じた。

「いらっしゃい」
「……どうも」

甘さを帯びた低い声に思わず反射的に言葉を返す。なんとなく会釈をした。
マスターは手で座るように促すと、少し待ってるように言って、扉の中へ姿を消した。そして、戻ってきた時には、ほかほかの蒸しタオルを手にしていた。

「目元を暖めるといい」
なんて優しいの……!

私は遠慮なく受け取ったタオルを目に当てて、その暖かさに再び泣き出した。いつの間にか傍に置かれたティッシュを遠慮なく手にとった。
ひとしきり泣いてスッキリした私は、初めて会った人の前で泣いたことに今更ながら気がつい気恥ずかしくなる。恥ずかしさを隠すように小さく笑った。

「……いい年して泣くなんて恥ずかしいですよね」
「何歳になっても、泣きたい時は泣いていいんですよ」

私はマスターのその言葉に目を大きく広げる。そんな優しい言葉をかけられて、やっと止まった涙が再びあふれそうになるのを必死に堪える。
そっと目の前にカップが置かれた。バーに不釣り合いな普通のマグカップだ。ちらりとマスターの顔を見れば、促されてカップを手にとる。優しく甘いミルクの香り。ひとくち飲んでほっと息を吐く。

「随分と酔っているようです。今日はこれでしまいにした方がいいですよ」

不思議とその言葉に従いたくなる。小学生の時に担任だった先生と雰囲気が似ているからだろうか。なんとなく、包み込んでくれる暖かさを感じた。

「もう夜も遅いです。帰れますか? タクシーを呼びましょうか?」
「私、みのり区に住んでて。ここから近いですか?」
「みのり区ですか……ここから歩いて帰るのは少し遠いので、タクシーを呼びましょう」

マスターは私に泣いていた理由は聞かない。やけ酒を呑んでいた理由も聞かない。聞かれたい訳じゃないけれど、愚痴をこぼしたいような気持ちでもない。なんだか不思議な気持ち。やけ酒を呑んで最寄り駅まで着いた時、本当はコンビニで酒でも買って家で呑もうという気持ちもあった。でも、今はそんな気分じゃない。マスターの作ったホットミルクでもういっぱいだ。最後のひとくちの飲む。

「……おいしかった」
「よければ、また飲みに来てくださいね」

タクシーの中でお店の名刺をもらうのを忘れたことに気が付いた。でも、最寄り駅は一緒だし、だいたいの場所はわかるから、また探せばいいかなとぼんやりと考える。

翌日、ふっと意識が浮上した時には家の中でスーツ姿のままベッドの上に倒れていた。大きくあくびをして伸びをする。目を擦りながら時計を見ればお昼を過ぎていた。昨日は何時頃に帰ってきたのか覚えていないが、よく寝ていたらしい。

しわしわになったスーツをとりあえずハンガーにかけてシャワーを浴びた。シャワーを浴びて考えていたことは、昨日のマスターに会いたい、ということだった。やけ酒を呑んだというのに、こんなにも心がすっきりしているのは初めてだ。いつもなら、酒に逃げた自分を罵りたいくらいに落ち込んでいるというのに。

素面の時に会って、話をして、昨日のことを感謝したいし、なによりマスターのことをもっと知りたい。今日はあのお店を探そうと決意し

しかし、このお店にたどり着けない。何度も行こうと試みても不思議と見つけられない。近所に住む人に聞いてみても、皆知らなかった。
ここかな?と思って覗いたお店は占いのお店だった。こんなお店あったかな、思案していると占い師と目が合った。「今日だけ特別価格でみるよ」と言われれば、ついついお願いしてしまう。何を占おうか、と聞かれて探しているマスターのお店を伝えてみる。占い師の男性は、にやりと笑うと得意げに占いを初めた。

「今日、夕日が沈みきる頃。君の探す店に会えるよ。君が会いたい人を思って……そうだな、18時頃この占いの店をもう一度訪れてごらん」

なんとも具体的な占い結果に私は「この占い師は本物かも!」と思った。私の信頼できる占い師のトップに躍り出た。そうだ、と帰り際にカフェの割引チケットをもらった。最近できたお店らしいが手作りプリンが絶品ということで時間を潰すためにも早速行った。

聞いていた通りにプリンは絶品だった。クラシカルな店内のステンドグラスの窓が素敵で、また行こうと心に決めた。家の周辺はもう知っているとばかり思っていたけれど、こうして歩いてみると知らないことも多いなあ、と心から思う。

スマホで時間を確認する。このまま歩けばちょうど18時頃には占いのお店に到着するだろう。
マスターに会いたい。マスターに話を聞いてもらいたい。マスター……。ひたすらにマスターのことを思い続けて、歩き続ける。夕日が沈みきるところで、私は大きく声をあげた。

「みつけた!」

マスターが店の外に若い男性と話をしている。駆け寄って、もう一度声をあげた。

「う、占い師さん?!」
「あ、さっきぶり~」

ひらひらと楽しそうに手を振る占い師と、驚きに目を見開く私。そして、もくもくと占いの看板を片すマスター。

「なるほど。昼間は占いのお店で夜がバーになるんですね」
「そうそう。日によって店が違うからよければ違う日にも来てね」

なんと、占い師がここの家主であり趣味で占いをしているそうだ。つまり、先ほどの占いは私がマスターを探していることを知りつつの占いの結果、というか普通に情報提供をしてくれたという話だ。

「似非占い師……」
「ひどいなあ、君が欲しい答えを教えてあげただけじゃないか。占いはその人の求める情報を与えること。その先については本人が考えること。俺が悪い訳じゃないし、それに、会いたい人には会えたんだから占いの結果通りでしょ」
「いい訳がましいです」
「ひどい」

私と占い師のやりとりを見たマスターは肩をすくめると、

「君たちは仲がいいですね」

という言葉を残して、さっさとお店の中にひとりで入っていった。
私は占い師をじとっと見つめてて、マスターを追いかけてお店の中に入っていった。占い師が後が入ってこないことに、少し安堵の息を吐いた。

カウンターの中にはマスターがひとり。そして、昨日と同じように席をすすめてくれた。

「今日はなににしますか?」
「オススメのお酒が呑みたいです。それから……私の話を少し聞いてほしいです」

恥じらいを隠すように少し小さめな声でそう口にすると、マスターは頷いて準備を始めた。どんなお酒を出してくれるのか、私は楽しみに待つことにした。

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