土で。
愛情表現って、いろいろあるんだなぁ…。
昨日いろんなことに思いを馳せながら辿り着いた結論がそれでした。
私は苦手で避けてきたことだけど、愛情を伝えたいと思えばそれは苦手でも避けずにやってみてもいいかもな、と初めて思えたなぁ…。
苦手だけど伝えるために頑張ってることもまるごと受け止めてもらえればなおいいなぁ。とも。
と、なんともぼんやりした書き方で頭の中を整理しようとしている土曜の朝です。
焼き締めのお湯呑みです。
釉薬をかけてません。
土の素朴な質感が本当に絶妙で、そこがお気に入りの1番のポイントです😊
削りの時の跡が残ってます。
なめらかにととのえることをやらなかった。そこもいいなぁと思っている点。
下の方の丸みの控えめさもかわいくて、丸いところを両手で包むようにずーっと持っていたい…😊
高台の削りだしも私の作品の中ではいちばんの出来だなぁと思います。大きさもバランスもかたちも全部。
私は形を作っていく時、初めから明確にこうしたい!と細部まで決まっていることがほぼありません。
こういうのができたけど、ここからとりあえず削っていってみて、そしたらなんとなくこうしちゃおうか、こうしてみようか、がぼんやりわいてきて、そのぼんやりに向かってやってみる。みたいなかんじです。
たまに明確にこういうの作りたい!っていうときもありますけど、割合からいけばこちらのパターンが2で、ぼんやりパターンが8って感じです。
このお湯呑みもぼんやりパターンから出てきたもので、たぶんぼんやりパターンから作った中でいちばんの出来だと自分では思っています。
お湯呑み作りに慣れた頃の、どちらかといえば若い作品ではあるんですが、それがいちばんてどうなんやろ…、ともちょっと思います😆
こういうのを作りたい!とかこれを表現したい!を明確にもって作り出せる人にめちゃくちゃ憧れるし尊敬します。
それがなかなかできない自分に落ち込むことも何度もありましたし、今もたまにあります。落ち込むときはもうどーーーーんと深く。
自分の作るスタイルややり方を否定したり劣っていると思ったりする必要はないのだということに気づけるようになったのはつい最近のことです。
そこに気づくと、自分の作品たちがよりかわいく見えてくることもわかった。
次もお湯呑みを紹介します。
これは、見た目はぜんぜん納得いってないのに、これでお茶を飲んだ瞬間の口当たりが魔法みたいに吸い付くみたいになめらかで優しくて驚いたというお湯呑み。
この飲み口の感じ、このお湯呑み以外でまだ作れてないと思う。
いや、作った全てのお湯呑みを使ってみたわけじゃないのであれですけど。
次回はそんなお湯呑みを。
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