「はて?」のススメ:異文化理解とエポケーの重要性
こんにちは。「多様性豊かなスタートアップを増やしたい」chocoです。
NHKの朝ドラ「虎に翼」の放映終了からもうすぐ1ヶ月。「虎に翼ロス」が続いている方もいらっしゃるのではないでしょうか?私もその1人です。
「虎に翼」はこれまでテレビドラマで取り上げられることのなかった周縁化された人々を真正面から描くだけでなく、ドラマとして純粋に面白かったのですが、私が探究しているI&D推進の観点でも非常に示唆深い内容でした。
今日はその中でも、主人公の寅子が「異」と対面した際に発する「はて?」について、異文化理解の観点から深読みします。
異文化理解とエポケー
Inclusionを推進する上で、エポケー(判断保留)は、多様な視点を受け入れるための重要な手段となります。このセクションでは、エポケーがどのようにInclusionや異文化理解に役立つかを考えます。
エポケーとは
聞き慣れない言葉かもしれませんが、エポケーとはフッサールというオーストリアの哲学者が唱えた現象学において、自然的態度に基づく判断を中止すること、と定義されています。
先入観を一時的に棚上げすること、ぐらいに私は捉えています。
なぜ、異文化理解にエポケーが重要なのか?
エポケーと組み合わせて発動したいのが、エンパシーです。
エンパシーとは、相手の視点に自分が立つことで、その人の感情を「自分ごと」として理解することです。相手の立場に深く入り込むことで、彼らが感じる痛みや喜びを感じ取ろうとします。
よく似た言葉にシンパシーがありますが、シンパシーは相手の気持ちに「寄り添う」ことで、「共通点」をベースに相手に同情しようとするのに対し、エンパシーは「違い」を前提としながらも相手に深く入り込んで理解しようとする、という違いがあります。
異文化理解においては、このエンパシーが極めて重要です。相手がなぜそのような価値観や行動に至ったのか、エンパシーを持って相手を理解することで、文化的な違いに対する好奇心やリスペクトの気持ちが生まれ、建設的なコミュニケーションに繋がります。
エポケーで先入観を一時停止した状態でエンパシーを働かせると、単なる表面的な理解ではなく、深い文化的背景まで理解することができます。たとえば、ある人の言動に対して違和感や驚きを感じた場合でも、エポケーによってその違和感を保留し、エンパシーによって「なぜこの言動が生まれているのか?」という視点で考えられるようになります。このようなプロセスを経ることで、価値観の異なる相手の行動が合理的であり、尊重に値することを理解できます。
寅子の「はて?」とエポケーに伴う苦痛
寅子の「はて?」は、他者や異文化に対して即座に判断を下さずに保留する(=エポケー)ための自分自身へのトリガーではないか、と私は捉えています。(もし違う意見があるよ!と言う方がいればぜひディスカッションさせてください。)
なぜわざわざトリガーが必要だったのか? 実はこのエポケー、言うは易しで、実践には苦痛が伴います。
※エポケーに伴う苦痛については、こちらのCOTEN RADIOで深井さんが語っています。
なぜエポケーは苦痛なのか?を挙げてみます。
1. 自己の枠組みから一時的に離れる不安
エポケーは、自己の既存の価値観や信念を一時的に保留し、自分が理解してきた「当たり前」を疑うプロセスです。この行為は、特に文化的に深く根付いた価値観や信念に触れるとき、自分のアイデンティティや自己認識に揺らぎを感じさせ、不安や違和感、抵抗感を生むことがあります。
2. 判断を一時的に停止する心理的負荷
普段私たちは、周囲の出来事や他者の行動に対して瞬間的に大量の判断を下し、それに基づいて行動しています。しかし、エポケーではその判断を意識的に停止する必要があり、いつも自動的に行っている反応を抑制しなければなりません。この反応を抑えることには大きな心理的エネルギーを要し、精神的に負担がかかることがあります。
3. 自己と他者の間の境界の崩壊
エポケーのプロセスでは、自己の価値観を一時停止することで、他者の価値観や視点をより純粋に受け入れる必要が生じます。しかし、このようにして他者の視点を深く受け入れると、自己と他者の違いが曖昧になり、自分が何に依拠しているのかが不明瞭になる感覚に陥ることがあります。この「境界の崩壊」は、自己のアイデンティティや一貫性に対する違和感をもたらし、自己喪失のような不安感や孤独感を引き起こすことがあります。
4. 新しい視点や価値観を受け入れる葛藤
エポケーの過程で、これまで信じてきたものとは異なる価値観や信念に出会うと、それに対して葛藤を感じることがあります。特に、自分の文化やアイデンティティに深く関わる問題であればあるほど、その違いを認めることは困難で、精神的な葛藤を引き起こしやすくなります。
5. 自分の無意識のバイアスを直視する苦痛
エポケーによって自分のバイアスや偏見を意識化することで、自分が思っていた以上に偏った見方をしていたことに気づかされる場合があります。この自己認識には、自己反省を伴うことが多く、時に恥や罪悪感を感じることもあります。自分の無意識の偏見を受け入れること自体が痛みを伴うプロセスであり、この自己認識はエポケーの持つ苦痛の一因となります。
「はて?」は寅子が、当時としては前例のないレベルでマイノリティだった法曹界における女性として、価値観の異なる相手と向き合い、信頼を重ね生き抜いていく上で本能的に編み出された知恵だったのではないでしょうか。
寅子の「はて?」はどのように変容したか
実際、「虎に翼」全130話の中で、「はて?」は100回以上出てきたそうです。
脚本家の吉田絵梨香さんが、「はて?」について「対話のキャッチボールの言葉」であると解説されています。
通常、エポケーは意識の中での営みなので、「はて?」がエポケーの一種である、という私の捉え方は拡大解釈かもしれません。
一方で、吉田さんが記事で語られている、「何かおかしいなと思った時に、相手を否定・攻撃したり、発したワードで会話が終わってしまうようなものにはしたくなかった」という意図の部分は、やはりエポケーと深く通じるものだと考えます。
「はて?」に対する周囲の反応の変化
寅子の社会的地位が上がるにつれて、「はて?」という一言は単なる寅子の認知コントロールに留まらなくなり、周囲からは別の意図を付加した形で受け取られるようになります。
序盤では、寅子の「はて?」は人々から愛嬌として受け入れられ、彼女の好奇心や独特の視点として尊重されることが多かったように思います。
しかし、寅子の社会的地位が上がり影響力を増すと共に、周囲の人々が「はて?」に対して嫌悪感や反感を引き起こすシーンも描かれました。このような場面では、寅子の「はて?」が彼女の純粋なエポケーとしてではなく、社会的な力を持つ人物の「暗黙の批判」や「威圧」としても解釈され、周囲にとって圧力となる瞬間が描かれます。
総じて、寅子の「はて?」は、彼女の成長や変化を反映する重要な象徴として機能しましたが、周囲の状況や社会的な立場の変化に応じて異なる意味あいを帯びるようになったことが事象として大変興味深く、このあたり、解釈を深めたいと思っています。
まとめ
私自身、スタートアップという新しい環境に飛び込み、日々価値観や前提の違いに直面しています。一方で、「エポケー」と「エンパシー」の概念を知っていたおかげで、防衛反応に陥ることなく前向きに楽しむことができています。
あなたも強烈な「異」と対面したら、「はて?」と判断を保留し、相手の窓から世界を見てみませんか?