
やりすぎ厳禁💦
この文章を読むことで、
誰かが、自分自身に寛容になってもらえればと
思っています。
💡ココ・シャネルの言葉
ココ・シャネルの言葉に
次のようなモノが有る。
女は男に愛されてこそ幸せなのだ。
男に愛されない女など何の価値もない。
老若にかかわらず、
女の幸せは愛されることであり、
愛されなければ、終わり。
【 人 】に置き換えて読んで欲しい。
ぼんやり考えていた。
🎵 愛されるよりも 愛したい 🎵と
いつも思っていた。
大好きな人に出会いたいと。
だが、それは『 ほんとうだろうか??? 』
僕が誰かを好きになった時は、
もちろん楽しかった。
振り向いていそうで、
振り向ききっていない感じに そそられた。
でも、よく考えると
僕は、相手に愛されたいのだ。
追いかけたその先に、
愛されている自分を想定している。
🎵 ずっと君と生きてくんだね
ボクの背中には羽根がある。
どんな夢もかなう気がする
君を抱いて空も飛べる
嘘じゃないよ、今 "幸福”に触ったみたい 🎵
💡愛される側
いつもアプローチを受ける側が
多かったように思う。
相手が、こんな僕を『 好き 』だと
言ってくれるのが嬉しかった。
でも、どこかで思ってた
『 どうせコイツも本当の俺なんて
見ていないんだろう 』と。
いずれ相手が、ほかの新鮮な恋を探しはじめ、
僕達の関係は終わる。
予測通りの展開に、驚きはない。
💡マリリン・モンロー
今年になって、マリリン・モンロー と
ココ・シャネル の本を読んだ。
この2人には、共通点も多い。
どちらも子供の頃に親に捨てられている。
シャネルは最晩年に、年の離れた恋人に、
『 あなたに、
親に捨てられた子供の気持ちなんて
分からないでしょうね 』と言っている。
モンローも
『 自分は、誰にも必要とされていないんだと
気づかされた 』と言っている。
2人とも、愛されるために努力して
地位も名誉も手にしたはずなのに、
逆に『 何者でも無い自分 』を
愛してもらうことから遠ざかってしまった。
💡いったい愛とは何なのだろう。
そして僕達は『 愛したい 』のか
『 愛されたい 』のか。
シャネル は、ウエストミンスター公爵の為に、
モンロー は、アーサー・ミラーとの結婚で、
第一線から退(しりそ)いた時期がある。
その時間を彼女達は【 安心できる場所 】
【 たよれる男性が必要だった 】と
言っている。
彼女達は【 安心感 】を
愛のひとつの形だと言っているのだ。
となると、
愛とは 安心感を伴うもののように思え
『 愛する 』よりは、
『 愛される 』ための何かを創造する必要が
有るように感じる。
💡磨きすぎによる不安
インポスター症候群。
先日テレビで、ミュージシャンが、
『 何万人も動員してのコンサートで、
誕生日当日に「 おめでとう 」と
言ってもらったのに、
自分の携帯には、
1件のお祝いメッセージも入っていない 』
と言っていた。
モンローも
きっと同じ気持ちだったのかも知れない。
『 愛される 』ために、した努力のはずなのに
本来の自分とは異なる、
表面的な虚像を愛してもらっているようで、
どんどん【 公( おおやけ )】の自分と
【 個 】としての【 私( わたくし ) 】が、
解離してゆく…。
💡そう成らないために
インポスター症候群には、
【 勤勉さ 】【 魅力の’誤用’ 】【 ニセ物 】と
いった感情が影響していると言われている。
それは、自身に対する
潔癖さ
働き過ぎ
自分自身に対する過小評価
自分に対しての賞賛を認めない
といった『 謙虚すぎる 』姿勢に
現れているのだと思います。
モンローは、遅刻魔として有名だったが、
彼女は、誰よりも早く現場に入り、
リハーサルをすませ、
いざ、本番前になると、
自身を信じられない恐怖から
楽屋から出てこれなかったというのだ。
愛されるためには、
まず【 自分を許してあげる 】必要が
あるように思う。
そして【 素直にすがれる誰か 】との
信頼関係が必要なように思う。
そして、
それこそが✨愛の本質✨なのかも知れないと
思うのです。
