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完璧な人間なんていない完璧なパートナーなんていない完璧な自分なんて幻想
今週落ち込んでいた時に、自分に言い聞かせるように書いた「殴り書きnote」
なんとなく11月のうちに投稿したくて。
書き殴りで推敲もあまりできてないのですが、更新します。こんな気持ちの時もあったなと、記録に残しておきたい。
完璧主義を手放そう。
自分も完璧じゃないし、もちろん相手だって完璧じゃない。
何に不安になってるのか?考えた結果、完璧主義だからこそもう身動きがとれなくなってるのかもしれない。
いつもご機嫌でいられるわけじゃない。
いつも健康でいられるわけじゃない。
機嫌が悪い時だって、具合が悪い時だって、自分が好きな自分でいられない時だって、毎日は続く。
でもずっとどん底で大嫌いな自分ってわけじゃないし。当たり前なんだけど、バイオリズムがあるわけだし。
どこかで、完璧な自分で、自分が好きな自分でいられれば、運命の人に出会えると思っていた。まだその時じゃない、まだその時じゃないと。
でも、違うよわたし。
誰も完璧な人なんていない。運命の王子様が迎えにきてくれるわけじゃない。
カッコ悪いところも
泥臭いところも
弱さも、カッコつけちゃうところも
強がっちゃうところも
見せ合いながら笑って許容できる
そんな存在がいいんじゃないかなあ。
わたしは、どこかで
自分の父と母のような関係性に憧れ
自分の生まれ育ってきた家庭像が「正解」だと思ってきた。
父と母は仲良しだし、現に今2人で金沢・京都を車中泊しながら巡っている。めっちゃ仲良し。
共働きしながら、4人の子育てを終え、退職して2人でこれまで出来なかったことを楽しんでいる。これはわたしの両親、2人の夫婦としての形。
そりゃあ4人も育てたらさ、絆も深まるだろう。阿吽の呼吸が生まれるだろう。
わたしは、2人の過程には思いを馳せずに、結果だけを見て、いいな〜あんなふうに2人でどこでも行ける夫婦がいいなあ、なんて思っていた。
そして、これまで付き合ってきた人と自分の関係性を考えて、そんな風になれるのかなあ、無理かもなあなんて、勝手に悲しくなったりしてた。
なんだそれ!ちゃんちゃらおかしい。
関係性って自分達なりのオリジナルで進めていくもんでしょ。それぞれにそれぞれのストーリーがあるもんでしょ。
外から見て、憧れるのは勝手だけど
当人たちしかわからない
2人だけの関係性や築き上げてきた
歴史があるわけで。
一緒にそんな歴史を積み上げられる人がいたら最高だけど、独身だって同じ。周りにどう感じられるかわからないけど、その人にはその人の歴史があって、周りが勝手に幸せだとか不幸せだとか決めつけるのは絶対違う。
わたしはわたしの幸せをデザインする。
今、好きな人がいて、お互いに思いやれている状況が嬉しい。どうなるかわからないけどワクワクする。
今、やりがいのある仕事に就けていて嬉しい。認めてくれる上司や支え合ってがんばれる同僚、日々成長する子どもたちとの日々は大変だけど楽しい。
今、こうしてnoteを書いたり自分と向き合い文章を書く時間。楽しい。
今、友達と会ったり、行きたいところに行ったり、やりたいことをやったり、自分の声に耳を傾けながらワクワクすることにチャレンジできている状況が嬉しい。
今年も思い返すとたくさんのことにチャレンジできて、本当に充実していた。
わたしはわたしのやり方で、
自分らしくこれからも生きていく。
仕事も、結婚も、子育ても、遊びもぜーんぶひっくるめて味わい尽くしたい。
そして、そんななかでの気づきを
しっかりと言葉にのせて記録したい。
届けたい。
わたしはわたし。
「焦らず、腐らず、淡々と」
がテーマだった今年1年。
付け加えて、
「しなやかに、凛と、のびのびと」
自分の人生を面白がりながら
幸せをデザインできるわたしでありたい。
今、そんな気持ち。
おしまい。