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20年来の親友が「無理に変化しなくてもいい」ことを教えてくれた
ここ数年、人生を流れる景色がジェットコースターのように目まぐるしく変化して、なんだか自分を見失うような感覚さえあった。
たくさんある乗り物の中で、ジェットコースターを選んだのは自分なはずなのに、途中で降りれなくなってしまい、感情が置いてけぼりになったまま、車体は猛スピードで進んでいく。いろんな人が、出来事が、どんどん移ろっていく。
そんな時に、ふと「自分にとって、変わらないものはなんだろう?」と考えてみた。
旅、小説、友人。
さまざまな旅先、本、友人と出会ったが、この3つの要素が私の価値観の根幹にあると思う。
中でも人生の暗黒期、中学・高校時代を共に過ごした親友は、私にとってかけがえのない存在である。
中高時代のたった一人の親友
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出会いは中学1年生。すべり止めと言われる学校にも見事にすべり、入学試験の時期が早いからという理由だけで受けた学校に入学した。
そのため、千葉の実家から1時間以上かけて田んぼに囲まれた埼玉の学校に通うはめになる。
後に親友になるその子とは、あいうえお順で苗字が近いので、席がすぐ側だった。私はすぐに仲良くなることを確信をした。私はこの友だちレーダーみたいなものの精度が異様に高く、ビビッと反応したのだ。
入学してすぐに親睦を深める合宿のようなものがあったのだが、そこでも同じ班で私たちは自然と親しくなった。美人だが、どこか抜けていて、まったく飾らないところが彼女の魅力だ。ものごとへの執着が薄く、中学に入学した時点で小学校の記憶はほぼないと言っていた。
それからほどなくして、クラスでいじめが始まった。その標的は1週間ほどのペースで入れ替わるのだが、私はそのいじめのリーダー格と同じ部活だったので、やっかいだった。
バレー部でパス練をしなければいけないのに、毎週いじめの標的が変わるので、チーム組みができずに部活の時間が終わるくらいには、いじめがはびこっていた。
納得できないことは納得できないと真っ直ぐに言い返してしまうので、いじめグループを刺激して、結局中学3年間はずっと臨戦体制にあった。
お昼のお弁当を私たちふたりと、それ以外の女子全員で分かれて食べるような時もあった。友人はどちらにつくこともできたが、たぶんそっちのグループにいてもつまらないからみたいな理由で私と一緒にくだらない話で爆笑していた。
このいじめの件で、教師がいじめている側の生徒の肩を持ったことで、私は完全に信頼をなくし、先生への態度も悪化していった。ほとんどの校則を破り、授業には遅刻して、部活をサボっていた。
友だちもほとんど作らず、文化祭も体育祭もやる気はゼロだった。
そんな時も彼女は変わらずに友人でいてくれた。
私らしい選択を後押ししてくれる存在
中学1年生以来同じクラスになることがなかった私たちは、私立文系と国立理系で進路もバラバラ。
それでも中高6年間、大学生になっても、社会人になっても、定期的に会い続けている。
中高時代、反抗しまくっていた私だが、高校でドイツでのホームステイを経験したことで海外の魅力にハマり、英語を猛勉強した末に、大学では英米文学を学んで、短期留学を2度経験した。
インターンシップも掛け持ちして、気がつけば意識高い系と揶揄されてもおかしくない人間になっていた。徐々に、中高時代の数少ない他の友人たちとは次第に話が合わなくなり、関係が遠のいていった。
私自身も、すっかり更生してしまったことがなんだか恥ずかしくて、母校はおろか同窓会にも一回も足を運んだことがない。ほとんどの友人が離れてしまうのは当然だ。
でも、親友の彼女は「同じ学年の◯◯ちゃんって覚えてる?」と毎回確認しながら、他の友人の近況を時たま私に教えてくれて、彼女を通じて何人かの同級生との再会が叶った。
社会人3年目の頃には、いきなり私が仕事を辞めて、フリーランスになって、オーストラリアに行くと言い出した時もあった。
お金がないだろうと心配してくれて、その頃はなぜかご飯までご馳走してくれていた(笑)。
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勢いでオーストラリアに渡ったものの、彼氏とも親友とも離れ離れになった私は、時たま日本が恋しくなり、親友と長電話をした。中学校の頃に交わした「隠し事はなし!」という約束をお互い律儀に守り続けており、困った時には真っ先に相談する仲である。
そんなこんなで10ヶ月のワーホリ生活を経て、帰国。その後の転職に悩んでいる時も、私にぴったりな会社だから大丈夫!と思いっきり背中を押してくれた。
彼女はバリバリのキャリウーマンで、社会のものさしを持っているのに、いつだってそれを誰かにかざすことはなく、私らしさを肯定してくれるのだ。
多動な私と会いに来てくれる親友
昨年、満を辞して会社員を辞めた私は、思い切って2ヶ月半のヨーロッパ旅行に出ることにした。
そしたら、なんと親友がヨーロッパで合流したいという。前提として、私は旅フリークだけど、彼女はいわゆる旅好きという部類ではない。
だが、たまたま行きたい場所とタイミングが重なったオランダで合流することになった。
彼女との待ち合わせは旅の終盤だったので、私は移動にもすっかり慣れてしまったが、彼女は大学生ぶりのヨーロッパ。それなのに現地集合をかます親友。
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さらには数日前に仲良くなったドイツ人と出迎えるという奇行までしてしまった。それにも爆笑してくれて、なぜか3人でサイクリングをして海で美しい夕日を見た。
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ヨーロッパから帰国した昨年末、今度は突然、福岡に移住してしまった。
楽しく暮らしてはいるものの、私のことだからまたいつどこに移動するかわからない。「いつまで福岡にいようかな」と漏らしたら、私がいるうちに会いに行く!と1週間後のチケットを取り、駆けつけてくれたのがつい先日。
明かりを消して、同じベッドに二人並んで、眠くなるまで話して、笑って、まるで中学の頃から変わっていない。
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人生の激しい変化の中でも変わらない関係
いつからか「変わらなければ」と強く思うようになっていた。
自信がないから、継続力がないから、集団行動が苦手だから。
努力して、少しでも変わり続けなければと思うようになっていた。
でも、彼女と久し振りに数日間過ごして気がついた。無理に変わらなくたっていいのだ。私がなにをしたって、していなくたって、彼女は一緒に笑ってくれる。
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記憶力は弱いけれど、物持ちがいい彼女は、手紙やアルバムを全て取っていて、時たま私との手紙を見返すのだという。それは私も同じなのだ。
20代の集大成として作ってくれたふたりのアルバム。30代ではどんな1枚が加わるだろう。まだまだ30代は始まったばかりで、ふたりはどこにでも行ける。
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