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揺れてる!!! soshite そっと支援
娘が言葉にした。
その声で、昼寝から戻ってきた私。
ほら、揺れてる!
能登で地震だって!
震度が震度5強!
いや、震度6強だ!
震度7に変更になった!
娘がケータイ片手にPCを開く。
津波警報が出ました!
大津波警報に変わりました。
「命を守ってください!高台に逃げてください!高台がない場合は高い建物に逃げてください!
とにかく命を守ってください!」
「もうすでに津波は到達していますっ!!」 アナウンサーが絶叫し始める。
PCの画面には、能登半島が真っ赤、日本海沿岸が黄色で点滅している地図が出ている。
まさか、そんな大事件が、2024年元旦に起こるとは?
震度7?
想像もつかない。
何もできない自分にいらだつ!
いや、違うよ
今は何もしないほうがいいのだ。
私はそれを学んだ。
そして、その学びを、いつか伝えなければいけないと思っていた。
きっと、今がその時だ。
勇気を振り絞って言葉にしてみよう.
2020年6月末
私は熊本県を訪れていた。
熊本空港から入り南下しながら、鹿児島空港まで学びの旅。
球磨川でラフティング(急流下り)をする予定。
しかし、球磨川の水量が多く、流れも速いので、本日のラフティングは中止。
ラフティング時間がぽっかりあいたので、急遽「田植え」に予定変更。生まれて初めての田植え。
裸足になって、田んぼの温かさ、ふぉわふぉわ の柔らかい田んぼを足の裏で満喫。
田植えを終えて、田んぼの持ち主のウナギ屋さんで昼食をいただく。
関東人の私。背開きのお頭付きのウナギ!
そうか。背開きか?
ウナギは絶品すぎ。舌鼓を打ち続ける。最初からすごいご馳走。
その後、それぞれの味を守っている世界へつれていってもらった。
「球磨焼酎」の酒蔵見学とかね。
発酵を重ねていくときに音楽が聞こえ、どんどんおいしい焼酎になっていくのお話、素敵すぎる!
その日のお宿は、球磨川のほとり。
部屋の窓から球磨川が真横に見える超素敵的な旅館。
しかし、窓から見える球磨川は、川の水は茶色に濁り、水かさは多く、素人の私でさえ、ラフティング中止の判断は正しかったと思った。
研修最終日、鹿児島空港までの雨が降り続く中でのバスの中、
「田植えした田んぼ 稲刈りしたーい!」
「特攻隊を学びたーい!」
の話になり、近々、人吉・知覧ツアーを開催しよう!
と話がまとまり、
次回は知覧でお会いしましょう!で、
ツアーは解散した。
球磨川が決壊
帰路についてほんの数日後、球磨川が決壊した!!
えっ?つい何日か前まで私がいたところ。
上空から撮影された人吉の町はほとんどが、茶色い水に覆われ、建物が浮いている。
そして、私も被災していたかもしれない、という事に初めて気づいた。
人吉・知覧ツアー
予定通りツアーが開催されることとなった。
「稲刈り」の予定が「人吉の災害見舞」に変更された。
前回のツアーで見学、体験させていただいたところが、今どうなっているのか、この目で事実を確かめるために、羽田から飛び立つ。
私はただの旅行者である。けれども、事実を事実として伝えられる生き証人の1人なのだ、ということは、この時はまだ気づきもしなかった。
「想像を絶する!」
この表現は、まさにここで使うべきなのであろう、と思った。
ついこの間、私が目に焼き付けた風景とは全く違う光景だ。
田植えをした田んぼもウナギ屋さんも流れた。
前回お世話になった方のおうちもすべて流れた。
素敵な旅館はすべての機能を失くし、全く機能しなくなった。
電柱につきっ刺さっている軽自動車、点滅しないねじ曲がった信号。
前回お世話になったところは、ほとんどまったくなくなっていた。それもゴッソリとだ。
球磨焼酎の酒蔵はすべての機材が流され、新しい器具をそろえるなら5000万円はかかると話された。
私は、まったく言葉が出なかった。
本当にここに何かがあったのか?
伝えたいこと
わたしがお聞きしたお話をお伝えいたします。
少し記憶が書き換わっているかもしれませんが。
安否確認
災害が起こったときに、あなたの心配は必要ありません。助けてほしければこちらから連絡します!
そして、充電器も充電する場所もない私たちの携帯に連絡しないでください。充電がどんどん少なくなり、ただでさえ、心の余裕がないのに、ますます不安で心がいっぱいになっていしまします。
だから、助けて!を言うための大切なツール、その時に連絡ができるように携帯の充電を保たせてください。
お気を悪くなさらないでください。
再度言います。
あなたの心配は私たちには必要ありません。
あなたが安心するだけで、私たちは不安が募るばかりなので。
お手伝い
被災してすぐのころは本当にありがたいです。土砂などの取り除きは力仕事なので、男手(人手)が必要です。
でも、不慣れな方が来ることは申し訳ありませんが、お断りしたいです。
本当にわがままだと思っています。
私たちは必死です。元の生活に戻るために一生懸命です。
最初は我慢ができていても、疲労がかさんでくるのと、心に余裕がないので、イライラも募ります。
でもせっかく遠くから来ていただいたから、と私たちもお礼をしたいと思います。
でも、それをしなければと思うことも、どんどん負担になってきます。
本当にわがままだと思っています。
皆さんの暖かい気持ちを踏みにじることになる思いだということは重々承知しています。
でも私たちの思いも聞いてください。
支援物資
もし、送ってくださるなら、何が入っているかを箱の外に記載していただけると助かります。
支援物資を分別する場所、品物を広げる場所もないんです。土がついたら使い物になりません。
支援物資は、分別したものを必要としている人のところへ届けてくれる、というシステムができていれば別なんです。
でもここ人吉は、ほとんどの人が被災し、命を落とした人もたくさんいて、とてもそんなことはできませんでした。
だから、支援物資が来ると暗い気持ちになりました。
それでは、一番必要なものは何ですか?
本当にお恥ずかしい話です。
ですが、あえてお話ししします。
やはり、お金です。お金があれば必要なものが買える。
申し訳ないですが、支援物資は求めていないものが送られてくる。
必要な人がいなれば、不必要なもの(ゴミ)になってしまうんです。そして、ゴミとなってしまったものをまたしても処分しなければならない。
私たち、すべて流されちゃんたんです。
生活に一番大切だった、軽トラや耕運機、生きる糧のものすべて流されちゃんたんです。ゴミを運ぶ術もない。
必要な人に必要なものが届けられない。
農業を生業にしていたのに耕運機も農具も何もかも流されてしまいました。
人吉市より、河口に近い町は全壊しています。
亡くなった方もたくさんいます。
そこよりは人吉はずっと恵まれています。でも、、、
お金を寄付していただければ、少しずつ私たちが必要なものが必要な人に届くんです。。
軽トラを買ってもらった人は、清掃工場に持ち込むことができる。そして周りのお宅のごみも持って行ってあげる。住民同士の助け合いがどんどんつながっていくんです。
だから、最終的に、「お金」が一番ありがたいということがわかりました。
涙が止まらない
ただの旅行者でしかない、私に、恥を忍んでお話してくれるなんて、
ありがたすぎて涙が止まりませんでした。
でも、これが被災された方々の、本当の心の声なんだろうな、と思いました。
そっと支援する
私が被災地にいったとしても、非力でまったく役に立たない。
なにかしたい。
そう思ったら「お金」でそっと支援しかない。
必要なものが必要としている人へ届くように。
災害が起こった瞬間に立ち上がる募金先がたくさんあるが、
本当に届いているのだろうか?
届け先はいろいろあるけど、
まずは本当に困っているだろう自治体に送るのが、一番よいかと思います。
良かったらこちらへどうぞ。
石川県義援金
令和6年(2024年)能登半島地震に係る災害義援金の受付について | 石川県 (ishikawa.lg.jp)
「ご縁」は大切にしたいですね。