一日一句【菜根譚】#91『奉我衣冠、我胡喜怒』その人の外見や地位だけで判断せず、その人の本質を見るよう心がけること
「奉我衣冠、我胡喜怒」についての考察
「奉我衣冠、我胡喜怒」という言葉は、中国の古典『菜根譚』の中に登場する言葉です。この言葉は、現代社会においても私たちが深く考えるべき教訓を含んでいます。今回は、この言葉について、もう少し掘り下げて解説したいと思います。
言葉の意味
直訳すると、「私をもてはやすのは私の衣冠(官服)であり、なぜ私は喜んだり怒ったりするのか」という意味になります。つまり、私が役人になった時に人々が私を敬うのは、実際には私自身ではなく、私が着ている官服や地位に対して敬意を払っているに過ぎないということです。同様に、私が地位を失って人々から軽んじられるのも、私自身が軽んじられているのではなく、私が貧しい服装をしているからに過ぎないということです。
背景と解説
この言葉が意味するのは、外見や地位に対する評価が人間関係にどれほど大きな影響を与えるかということです。古代中国の士大夫や儒学者たちは、高貴な装束を纏っていると尊敬され、逆に貧しい身なりをしていると軽蔑されました。しかし、これは本質的にはその人の人格や能力を評価しているわけではなく、単に外見や地位に基づいた評価に過ぎません。
この点について、現代でも同様の状況が見られます。例えば、職場での地位や肩書きが変わると、周囲の人々の態度も変わることがあります。あるいは、高価なブランドの服を着ているときと、カジュアルな服を着ているときでは、他人の接し方が変わることもあるでしょう。
現代に生かす教訓
「范進中举(范進の挙人合格)」の物語では、范進が挙人に合格する前は、近所の人々から冷たく扱われていましたが、挙人に合格した途端に態度が一変しました。これは、彼らが范進個人を尊敬していたわけではなく、彼の新たな地位に対して敬意を示していたことを物語っています。
このような状況に直面したとき、私たちはどう対処すべきでしょうか。まず、自分自身の価値を他人の評価に依存しないことが重要です。自分の内面の価値や信念に基づいて行動し、他人の態度に左右されない強さを持つことが大切です。また、他人を評価するときも、その人の外見や地位だけで判断せず、その人の本質を見るよう心がけることが必要です。
このように、「奉我衣冠、我胡喜怒」という言葉は、私たちが外見や地位に惑わされず、本質を見極めることの重要性を教えてくれます。現代社会においても、この教訓を胸に、真の価値を見出し、それを大切にしていきたいものです。
一日一句【菜根譚】#92 「不近悪事,不立善名」静かに自らを磨き続け、他者と和気を保つ
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