「表現者」といわれる戸惑いと「魂占い」が出会って感じたこと
「表現者だね」「表現者なんですか?」
たまに言われる。
過去には演劇のはしっこにいたことがあるし、
今はダンスのワークショップに通っているし(さぼりながら)
思いついたときに絵を描いてみたりする
どれもがんばっていたときは、褒めてもらうこともあるけれども。
もうやめてしまったこともあって。
うまいわけじゃないからぁ~って、大げさに言ったあとはすぐにこそこそする。
*
春分の日に書店で「魂占い」を手に取った。
わたしは「宇宙の音を奏でるピアノ」という魂らしい。
日々、魂を震わせ
イマジネーションを形にし
人類のスピリチュアリティを底上げする。
*
何か成果を生み出せていないわたしからしたら大それたことが書いてある。
それでもしっくりきてしまう。
これまで、よくはわからないまま表現のそばにいたことや、やってきたことにOKを出されたように感じた。
「このままでいいんだな」
地図のない世界には一筋の光が必要なんだなぁ~
*
たとえ上手でなくても。ささやかでも。
表現できているときもある。
あの場にいた皆と繋がったと感じた瞬間。
舞踏に泣いてくれた人たちがいたこと。
胸を打ったと言ってもらったこと。
もしかしたら日々のひと時。
*
読んだあとに描いた絵はいつもと同じヘタッピだけど
褒めてくれた人もいた。
この感覚をもっと描いてみたいと感じた。
どうしてかな。
この世界に合わせなければ、繋がれないと思いがちなのは。
感じるままに表現していいんだ。
優しく押された背中は一歩ずつ踏みしめながら、外側の世界へ歩き出す。