私の海外出産ものがたり。Part 8 日本の産婦人科
2人目の我が子を海外で出産することを、
決めた時、
娘は6歳になっていた。
ここで1人目の日本での出産を振り返ってみようと思う。
2009年11月
彼女を産んだ時は里帰り出産で
実家の近くの小さな産院で産む予定だった。
しかし、予定日より1か月早い早産で、
結局、近くの大きな病院で出産した。
その時、娘はNICU に入り、生後20日程病院で過ごした。
この時から、
現代の出産に疑問を持ち始めていたのかもしれない。
予定日より1か月早い深夜3時に破水して、
翌日の夜に35週と5日で出産。
体重は2050グラムで生まれた。
夜中の3時に破水して、朝方大きな病院に移動し、
お昼の2時に東京から、主人が駆けつけた。
その頃、徐々に陣痛は始まっていて、
先に破水したけど、じわりじわりと陣痛が来ていた。
病院の女医さんは、このまま陣痛が強くならなければ、
促進剤を打ちましょう。
順調に陣痛がくれば、このまま自然分娩しましょう。
でも、この調子だと明日の朝くらいですかね...
そう言って出産まで、病室を訪れなかった。
夜の8時過ぎ
強い陣痛になり始め、いつまでこれが続くのかと
泣きそうになっていた。
今でも忘れない...いきむ時より、
とにかく陣痛が痛かった。
いきみ始める前、早く生まれてこようとする
娘の勢いをお腹の中から感じていた。
けれど、担当の助産師さんはまだいきむなと私に言った。
出産時、病院での出産は切開する、
そのためには医師が、一緒にいる必要があった。
けれど、その時、医師はいなかった.....。
もう限界という時、私は助産師さんにもう無理です、と声をかけて、私は娘の意志に従って、いきみ始めた。
主人も付き添ってくれていた。
もう半分以上、娘の姿が見えたときに医師が現れ、切開した。
その後、私は出血が多かったということと、
娘は小さくて吸う力がないということで、
病院の方が生まれたばかりの娘にミルクをあげた。
娘はミルクを飲んだが、すべて吐いてしまって、
NICUに運ばれた....。
その後、初めての出産、初めての子育て
その相手は2050グラムの赤ちゃん。
ギリギリまで働いていた私は、
お母さんとしての知識もさほどなく、
よく訳もわかっていない....。
赤ちゃんは小さく、力がなくて、
おっぱいを吸う力がない。
どんなパニックが起こったかは、言うまでもない。
私は産後、情緒が不安定な中、
毎日搾乳機で搾乳したミルクを持って病院に通った。
娘の体重は一時減り、1800グラムまで下がった。
主人は仕事があるから、東京に戻ってしまい、
当時私は本当に心細かった。
寝不足と心配、とにかく不安定で、
産後うつ状態だった。
何も知識なくスタートした出産と子育てだった。
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