小説家チャレンジ33日目〜失って得たもの〜
きょうは起きたとき−11℃くらいだったのに、太陽の光がさんさんとふり注ぎ、午後には-2℃まで上がった。
いちにちで10℃もあがるって、かなりの変化。
その前はまいにち-30℃だったことを体感で覚えているので、-2℃なんて屁みたいな気温。感覚的にはジャケットなしで外出られるくらい、あたたかい。
5日連休のあと筋トレを再開。スクワット20分、脚痩せエクササイズ15分、腕立て40x5、腹筋100x5、肩腕立て100。だいたい1時間くらいかかる。
あいだ一日休んで、今日は免許更新と車のナンバープレート登録にいく予定があったので、1時間は長いので、同じメニューを腹筋と腕立てぬきで行う。
先月、日本に帰ったお友だちから譲りうけた、2012年のJettaの登録と保険の手続きをおえて、お天気のいい午後、夫がドライブにつれて行ってくれる。
エンジンがいつどこで止まってもおかしくない2002年の日産に乗ってる人間にとって、よく手入れされたピカピカのフォルクスワーゲンは、中古というより新車にのったくらいの感動があった。
ガソリン臭しないし、ぜんぶの窓が開く、ヒーターはちゃんと効く、ワイパーも動く、車内もきれいで言うことない。あたらしい車っていいなぁ。日光がポカポカあったかいのと、清潔な車内がきもちよくて、しあわせで助手席で思わずウトウトした。
3年まえ、アラフィフで、夫婦で無職になり無一文になったときは、人生最悪の危機でしかなかった。
ただどん底生活を体験したからこそ得た、おおきな気持ちの変化、そこで受けとったギフトもある。
それはすべてを失って初めて「感謝」を皮膚で感じられるようになり、心からよろこんで素直に受けとれるようになったこと。
それまでの「感謝」は、ひとに何かしてもらったとき反射的にするもの、常識であり礼儀だった。「ありがとう」という気持ち、概念だった。
それが大失敗し、敗者になり、煙たがられ、どこにもよばれなくなり、自信も実績もプライドもこっぱみじんに吹き飛んだ。
46歳にして、赤子を抱えて丸裸にされ、世間に放りだされた。しばらくは恐怖いがい何も感じられなかった。
それがどん底に何年か暮らしてきたおかげで、人のどんなささいな好意、思いがけないおくりもの、たまにおとずれる小さな希望、どんなに小さな成功でも、それらすべてを肌で、全身で「喜び」として感じられるようになる。
今日みたいに車内がきれいだと嬉しい、ワイパーがちゃんと動くって安心だな、すべての窓が開くって便利だな、寒くてもヒーターがちゃんと効くって快適だな。
JJはきょう帰宅後はじめて、土足でリビングにあがらず、まいにち言いきかせている通り、玄関でまず雪だらけのブーツ、ジャケットの順でぬいでくれた。うれしかった。
トイレトレーニング。「JJ大きいのするときは、ママ、うんち」って教えてね、ってずっと言ってるけど今日もオムツのまましてしまった。
JJを洗おうとお風呂場に連れていって「ママ、プープ(うんち)」って言うんだよ、っていつものように言うと、JJが向こうをむいたまま初めて「ププ」って小さくつぶやいた。えらいぞ、JJ!よく言えた!
JJはきょうもきげんよくお風呂にはいり、TVをちょっとみて、また大人しくベッドに入り、タラちゃんの読む「機関車トーマス」をききながら、スヤスヤねむる。
そのかわい寝顔をみながら、タラちゃんと今日一日、家族がすこやかでいられたこと、ごはんが食べられたこと、住む家、あったかい寝床があることを、神さまに感謝のお祈りをした。
そしてJJの発達障害、事故にあった夫に癒しをあたえて下さい、タラちゃんの学業をサポートして下さい、わたしを人々をインスパイアできるようなアーティストにしてください、とお願いする
リビングでJJの石けんのにおいのする、やわらかい髪とあたたかい小さな体を抱っこして、カウチでTVをみる瞬間の、安らぎと深いよろこび。
いま目の前にあたりまえのようにある、おだやかで平和な瞬間、ささやかな喜び、幸せ。
大きく失ったもの、破壊された過去。
焼けあとからわいてきた感謝とあふれるよろこび、ふときらめく未来の可能性。漆黒の夜空にひろがる宇宙の善意。
今日も1日、地球に命をもらった。
おろかでも、失敗しても、これが私。
これでも精一杯、がんばった私。
JJもわたしも完璧じゃないけど
いっしょうけんめい生きている
私たちなりに完全を生きている
完璧のなかに美があると
価値があると思ってきた、目指してきた
でもかなわなかった夢。
挫折と失敗と後悔の泥に手をつっこんで
今日もきらめく宝石をさがし続ける
可能性、というダイヤの原石を
しんじて磨きつづける