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【自己肯定感】低いです、って自分から言うのモヤモヤする

「自己肯定感が低い」という言葉に、最近引っかかります。
自分が容易に「自己肯定感が低い」という言葉をつかうことにちょっと違和感を覚えるようになりました。
(あくまで、「自分が」です!)


本当は今回、抑うつを克服するために今までやってきた「自己肯定感を上げる方法」をテーマに、ブログ記事を書こうと思ったけど、最近なんとなく「自己肯定感が低い」という言葉を使おうとすると、「げっ」と引いた気持ちになります。

なんでだろう?

もちろん、自己肯定感が低い人のことを否定しているわけではないです。むしろ、私が元々かなり低かったのでその辛さはすごく共感できます。

一昨年あたりまで、自分を肯定できないことで仕事もうまく取り組めなくて周りに迷惑をかけて、それでさらに自分のことが認められないという悪循環になっていました。
だからかな。

自分を好きになれなくて自己表現がうまくできないと、他人から勘違いされやすかったし、他人を不快にさせていたとも思うんです。

はじめて就職した23歳のとき、絶賛自分を好きになれない時期だったので、自分の発言も行動も全て自信がなくておどおどしていました。
「おどおどしてるね」「もっとしゃんとして」ってよく言われました。

後輩ができる時期になっても先輩上司からの信頼は得られなかったし、おどおどしすぎて相手を不快にさせることもありました。

だって相手からすると、
「え、そんなにおどおどして、私って怖い?嫌われてる?」
と思わざるを得ない態度になっているんです。

「なんかいじめてるような構図になってる?」

「まともな会話もできなくてやりとりしにくい、めんどくさい」

…と、思われていました(お叱りを受けることも多々あった)。

自己肯定感が低いことで、得したことはありませんでした。

最初に予防線を張って、
「私、自己肯定感が低いんです」
とか言っても、「ああ、そうなの…」と相手は返答に困っていましたし、
今思うと、相手にどんな言葉をかけられたかったんだろ?と思います。
何より、自分で自分のこと好きになれないことほど辛いことはないです。だっていつも一緒にいるし。いつもいやな気持ちがつきまとってきます。


それを思うと、あくまで私の場合に限った話ですが、
「私は自己肯定感が低いんですと宣言すること」=「気を遣ってください、優しく扱ってください、あわよくば、あなたにはこんな良いところがあるよって褒めてください」

って公言しているような気持ちになるんです。とても受身な感じ。


「私はこういうところが自分で好きじゃないんですけど、でも受け入れてくれますか?」っていうことは、

「私が作ったこのお菓子、不味くて私は好きじゃないんですけどあなたは食べてくれますか」

と、よくないと思っているものを提供しているのと同じじゃないか…。そう思うと、ネガキャンはやめようという気持ちになりました。
数年前、趣味で音声配信を始めたとき、ユーザー名は「根暗ぬい」でした。何ヶ月か続けていくうちに、「根暗はですね…」と自分を呼称していることに対して、

「私いつまで自分のこと根暗って言うんだろ。これじゃ、気持ちが明るくなってきてもずっと根暗であり続けなきゃいけない気がする」

と感じ始めました。これぞ、自分に言葉のおふだを貼っていたんですね。
おふだの話はこちら▼


そしてユーザー名を変えました。
街を歩いていて、すれ違ったときに素敵だなあって思う人って、スッと背筋を伸ばしていて、颯爽と歩いて、セルフプロデュースがうまい人じゃないですか。

だから、「私は自己肯定感が低いんです」と自分から言うのが憚られる。
理想の自分ではないから、言葉のおふだを自分で貼りたくないんだなあ。

「いつでも自分に自信を持てる人になりたい」
と思うようになりました。
仕事ができるようになるために、人に迷惑をかけないために、自分を責めないために、ひいては生きやすくなるために。

何より自分のことで精一杯だと、人のことを愛する余裕が生まれないですよね。(これについても今後深掘りしていきたい)

それでも、自己肯定感が低いときは低いです。
そんなときに、心がけているマインドについて、次回の記事で書きます。

今日は「自己肯定感が低いんです」と言おうとすることがなんで憚られるのかについて、言語化のためと備忘録的に書きましたが、同じように感じている人はいたかな。

もやもやを言語化することも自己分析になって、場合によっては誰かのもやもやを解消することにもなるかもしれないと思っているので、今後も書いていこうと思います。




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