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弟のこと(2)(きょうだい児と家庭不和と)*19



弟がいます。

私が障害者なので、「きょうだい児」です。

私の障害や病気のせいなのでしょうか?
長男だからでしょうか?
母は弟へ過剰な期待をかけ続けました。


それでも母を求める?

中学生になった弟は、母の過剰な期待や、干渉や、満たされない気持ち(病気の私に両親の関心がいきがちで、自分をもっと見て欲しいのに見てもらえない)や、父への反発などが重なって
無気力になり、家族の誰とも話をしなくなりました。
勉強も運動もあきらめたようでした。
爆音で音楽をかけ、家族を拒否する態度。

中学の担任には「近隣に行けるレベルの高校はありません」
と言われたそうです。

けれど、母はそんな弟に家庭教師をつけて、私と同じ進学校の高校へ行かせようとします。
私で失敗しているのに!

そうでしょう。母にはその高校の制服を着て家を出ることが、何よりも大切だったのだから

そして、弟は母の希望の高校に合格してしまうのです。

勉強ができないワケではなかったから…
どんなに母を拒否していても、それでも期待に応えたい、自分を認めてもらいたい、という気持ちがあったのでしょうか…

母に捨てられた

弟が、高校に進学した直後くらいでしょうか
母が家を出て行きました。

何かあったという記憶はありません。
唐突だった気がします。

母と父は考え方が真逆で、ずっと合わない人たちだとは感じていました。
でも、世間体や一応の義務感からなのか、離婚とはならず。

ただ、母からは
「あなたたちが二十歳になったら出てゆくから」
と、ずっと言われていました。
小学生の頃からです。

そう言われた私たち兄弟が、どれだけ傷ついているかを想像できる母ではありませんでした。
(それとも、まさか傷つけようと攻撃していた?)

私たちが二十歳になるまでは、もたなかったということですね。


弟は、母の望む高校に入ったのに
「母に捨てられた」
と思ったに違いありません。

弟がどんな思いで、高校3年間を過ごしたか、私には、想像することはできません。
自分が希望したワケでもなく、ただ母に認められたいと思って入った学校で。

休むこともあまりなく通っていた、と記憶しています。
もちろん、無気力になっている弟は成績は良くなく、卒業できないと言われたとのこと。
けれど。何とか卒業し、大学にも行きます。

中学の時にも行く高校はない、と言われながら進学校に合格し、高校も卒業できないと言われたのに大学に合格し、やはり「できない」ワケではなかった。
「頑張る気になれない」「なげやりになっている」だけだったのでしょう。

家庭環境が落ち着いていたら、彼の人生はもっと違っていたのでしょうね。
そして、私が病気でなかったのなら。

彼自身も、拒否し続けた家族を本当にあきらめられていたのなら。

父子家庭になって

母が出て行った後も、状況が良くなったワケではありません。
家事をやる人がいなくなり、私は病気で動けず、家事の能力もなく、やる気もありませんでした。
父が一手に引き受けてやっていましたが、仕事をしながらの私達の世話で、当然、余裕がなくなります。
父私弟は、3人バラバラでした。

全く交わろうとしない弟と父の間を、私は取り持とうとします。

高校を卒業したら弟を自衛隊に入れると言う父。
高校を卒業したら東京で音楽の専門学校へ行きたいと言う弟。

どちらも賛成できなかった私。

弟の無気力が、自衛隊に入れることで何とかなると考える父は短絡的で強制的すぎると思いましたし、
ウチの経済的状況を考えず、東京だの音楽だの言いだす弟には、腹立だしかった。

「自由な時間を確保するためにお金を出してもらえると思って、大学に行ったら?」
「とにかく大学の4年間で、自分ことを考えてみて」
そんな風な事を弟に話した記憶があります。
結果、弟はかろうじて家から通える地方の私立大学に合格し、行くことになりました。

今となっては、それが良かったのかは分かりません。

弟は、またもや大学の卒業も危うく、そして卒業したものの
「就職しない」と言ったのです。



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