クォータークライシス真っ最中に味わえてよかった『犬のかたちをしているもの』感想
20代後半になってしまった、と焦る。結婚しなきゃ、子どもとか作らなきゃ、でも本当に結婚したいだろうか、子どもが欲しいだろうか、まだ結婚生活や子育てを続けていける自信がない、でも結婚しないことを選択する意思の固さもない、結婚しないルートを歩むとしてバリキャリになるのか、そんなに仕事ができるわけでも好きなわけでもないかもしれない……などと思考がぐるぐる。あはは、こうやって悩んでるうちにあっという間に年とっちゃったりして。
この類の悩みは、意識の表面にのぼってきている時もあれば、他のことを考えていて下の方に沈んでる時もある。それは決して消えずに、いつでも心の奥底に存在している。
実家でも職場でも、まだ若いから何でもできるねと言われる一方で、とはいえそろそろ近いうちに結婚してお母さんになるんでしょと思われているのを感じる。直接的なことを言われるわけじゃないけれど、会話の端々に「そろそろ」が香っているのだ。いや、まあ、いいんだけどね。私も私自身に対してそう思ってるし。
独身の先輩たちのことを考えてみる。器がデカくて仕事ができて愛嬌もあってオシャレで、かっこいい。こんな人たちになれるのなら、独身、いいなあって思う。でもその人たちが席を外しているときの会話の中で、その人たちが独身な理由を勘ぐる話題が出たりする。素敵な人だけど何で独身なんだろう、不倫してたとか?みたいなことを無邪気に言う人たち。いろいろ言うけど、要するにみんな異口同音に、結婚してないと一人前じゃないみたいなことを言っている。そういう会話を嫌だなあと思いつつも私の中に同じような偏見が無いかと聞かれたら、無いと言い切れる自信はない。あったとしてそれを表に出すつもりは毛頭無いけれど。
先輩たちみたいに素敵な人たちでさえこんな最悪なこと言われるんだから私だったら、と思うとゾッとする。早く結婚しなきゃって思う。ななまがりのネタに、変わった風貌のおじさんが気持ち悪いことを言った後、そのおじさんが結婚指輪しているのに気づいたツッコミの人が「コイツ、結婚してる〜!」って言うのが大オチになるコントがある。これに笑いが成立してるのはみんなが結婚してる人=一人前・真人間という前提を共有しているということなのだ。
私が結婚しなきゃ、子ども作らなきゃって思うのは周りの目を気にしてのことだ。もし、結婚という概念がない場所に住むことになってそこに永住するってことになったら、きっと私は結婚のことなんて気にしなくなる。一緒にいたい人がいれば一緒にいればいいだけのことだし、子どもが欲しくなったら作ればいいなって感じにフラットな考え方になる気がする。
出産にはタイムリミットがあるじゃんって言われるとギクっとなる。確かにって思う。人によっては40代後半とかまで産めるらしいけど、私の身体が果たしてそれに対応できるようなものなのかというと、わからない。だから早めに産んどくといいのかもなーって思う。
結婚願望があって子どもがほしい人と付き合ってたことがあった。すごく怠惰な人だったから、この人と暮らしたら私が家事をしないと家は無限に汚くなっていくのだろうと思った。わたしの一人暮らしの部屋に泊まりにきても、ゴミの捨て方だったりお風呂の使い方だったり、汚かった。注意しても直らなかった。人んちでそうなら家族になったらもっとひどそうと思って、この人と結婚はないなーと思った。
そのあと付き合った人は、キッチリした人だったんだけど他人へのジャッジが厳しすぎて、この人の子ども生みたくないなーって思った。子どもがちょっと変わったことしたら嫌なこと言いそうじゃん、そんな風に育てたくないよ。そのあと付き合った人もおんなじ感じ。こんな話を女子会ですると、そんなんじゃ誰とも結婚できないよなんて言われる。結構です、なんて生徒会長金子(エンタ芸人)くらいの勢いでふざけて返せば、笑ってもらえてそれでチャンチャン。これでいい。せっかく久々に会った友だちの前で深刻になんてなれない。毎日会ってた学生時代の頃はどんな話もできたんだけどな。
追い詰められてはいない。結婚して子どもを産んだとしても、この悩みが別の悩みに変わるだけだとわかっているから。価値観の合わない人と結婚をしたら後悔するかもしれない。でも子どもを作ったらよっぽどのことがない限り離婚しないと思う。それは子どものためであって、世間体はあまり絡んでこない。未婚のままよりもバツイチで子持ちの方がなんやかんや言われることが少ない気がする。結婚と出産の実績解除的な?
子どもが人を傷つけたり犯罪したりするような人に育ってしまう可能性もある。そうじゃなくても何かしらの不幸に見舞われることもあるかもしれない。子どもが不幸になってしまったら自分が不幸になるよりもきついだろうな。そんなこと言っていたら何もできなくなっちゃいますね。この辺のネガティブな思考は程々に、まああるよねくらいのスタンスでいることは可能。
常識があって程よく放っておいてくれて共働きの良い奥さんがいて、子どもたちも素敵な個性を持っていて、一軒家を持っている人が「子どもなんて持つもんじゃないよー、受験生なのにいくら言っても勉強しないし」「一軒家買いたくなかったんだよ、ローンもあるし、急に引っ越せないからさー」って愚痴をこぼしていた。外野からすると理想的な家族を築いているように思えるにも不満はある。
なんでこんな話をしたのかというと、高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』を読んだからです。
主人公の薫、薫の彼氏との間の子どもをくれようとしてくれる女性も、今の私とおんなじようなことで悩んでいる。悩みに悩んだ後、ヨシッ、自分の意見が固まった、もうブレないぞと思っても、また時間が経って意見が変わったりして。そういう心の動きについても共感する。
特に印象に残ったのは「子どもをくれようとする女性」の痛々しさ。彼女には、変なことを提案したり極論を話している時に、過剰にあっけらかんと振る舞う癖がある。痛々しいと思うけど私にもそういうところがある(若い人たち風に言うと、共感性羞恥ってやつを感じる)。深刻なときに敢えてあっけらかんとしてしまう時ってあるんだけど、たいてい、どうしても我を通したいけど、批判されたりバカにされたりする可能性がある時だ。自分の心を守るために、相手と過剰に距離を置くという戦法。相手に「こいつ話通じないなあ」「私が何か言ってもこの人の考えはかわらないんだろうなあ」と思わせて対話を諦めてもらうのだ。その場は自分の心が守れていいけど、相手や相手の周りの人たちからの評価が、「対話を放棄する不誠実な人」になるという大きな代償がついてくる。そんなの、だれにも合わせる顔がない、恥ずかしい。(この小説の彼女だったら開き直っている風を装い続けるような気がする。でも5年後とかにたまたま主人公に再会したら目も合わせずに足早に立ち去るような気もする。持続する強さではない、インスタントな見せかけの強さの持ち主なんじゃないかって勝手に思っている)
「敢えてのあっけらかん」を間に受けてくれるのって一部のすごく素直な人くらいだからやらないのが吉だと思っている。裸の心でぶつかり合おうよ。
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痴漢に遭ったりセクハラされた経験があって過剰に防御反応しちゃったりするくだりも、わかるなあと思った。怖い目にあった後って、道で男性とちょっとすれ違うだけでも怖い。電車も怖い。そういう状態の時って、電車の中でちょっと押されたり、道ですれ違った人のカバンがぶつかったりしたくらいでも感情のコップは溢れかえってしまう。舐められてるって激怒しちゃう、悲しくなっちゃう。そんなことないのに。
「舐められる見た目をしてるから嫌な目に遭うんだ」って結論づけて服装や髪型を変えようとしたり周りを警戒したりずっと肩に力が入った状態になっちゃったりする。そういう時期に限ってさらに嫌な目に遭うのなんなんだろう。不自然さが目立つからなのか。
ぶつかりおじさん、痴漢、セクハラ、知名度はだいぶ高まったとは思うけど、男性に言うと「気にしすぎだよ〜」って返ってくることも少なくない。元恋人に話した時もそんなの気にしてるの心狭すぎって言われた。こうしたら痴漢やセクハラに遭わなくなるなんてアドバイスまでされた。当事者でも加害者でも専門家でもない奴がヨォ。私がいくら言っても私の辛さを理解してくれなかった彼は、『犬のかたちをしているもの』を読んだら少しはわかってくれるような気がする。とにかく描写が上手いのだ。
主人公が昔入院していた時に病院で手を握ってきた友人の父と、主人公の彼氏の郁也の、「女の価値」への勝手な考え方とか、悪気なく女性を下に見てる感じとか、俺は女性に優しくしてやっているという思い上がりとか、リアルだった。彼らの優しさは嘘ではないし(なんなら人に寄り添っている方の部類に入るくらい)、彼らの残念さも彼ら自身の責任ではなく世間の偏見や空気によって醸成されてしまったものだと思うから、彼らはある意味被害者だとも言える。登場人物の人物像の生感、作者はものすごくいろんな人たちのことを見ている人だなあと感じる。
20代後半はいろいろ思い悩む年齢だし、大きな選択は怖い。考えはコロコロ変わる。でも大半の人がみんなそうなんだ。そして何か一つ解決したとしても、悩みの種類が変わっていくだけ、悩みは尽きない。
友人には気持ちの詳細まで含めて報告する機会が少なくなってきたし、友人たちも全部は言わないから、「みんな悩んでいる」って意識して思わないと自分だけがモヤモヤうじうじしているんじゃないかって思ってしまう。みんな悩んでるんだ、大変なんだ、労りあっていくのがいいんだと意識し続けないと自分にも他人にも優しくできない。意識し続けるために、こういう本を読むのが良い。これからもたくさん読む。何か解決したわけではないが、読んでよかった。