弟が生まれて:アルバムから知る2歳前後
家族について振り返るシリーズ。誕生から年子の弟が生まれる前後のことを振り返ってみたい。
生まれは大阪、長女として可愛がられて
私が生まれたのは大阪回生病院。豊中市寺内町のマンションの6階に住んでいた。待望の長女で、すごくかわいがってもらったんだろうなぁと思える。分厚いアルバムに赤ちゃんの頃の写真がいっぱいだ。
でも私には年子の弟がいる。弟が生まれるから、と愛知県知多市に住む、母方の祖父母の家に1人で預けられたことを大きくなってから聞いた。子どもの頃はそれはただの出来事として受け取った。でも大人になってから振り返り、「あのとき、寂しかったのかもしれないな」と思うようになった。
幼少期、そして小中学校と、中学3年生で海外の同世代を知る衝撃体験まで、私は真面目な優等生のレール一直線だった。なぜそんなに真面目な優等生でいられたんだろう。そのことを振り返ったときに、もちろん、もともとの性格が真面目だということもあるけれど、やっぱり「大人にこちらを向いて、私自身を認めてほしかったからかな」と思うに至った。
その認めてほしい気持ちの根っこはどこに?――自分なりに探った結果が、祖父母の家に預けられた体験だった。小さすぎて「寂しい」なんて口にすることはもちろん、自分の置かれた状況そのものを理解することもなかった。それでも、何となく、その時期が「大人に認めてほしい」自己顕示欲の根っこにあるのかな、と自分なりに理由付けしたのだった。
弟が生まれて――アルバムを見て気づいたこと
今回、家族を振り返るために、自分の赤ちゃん時期から幼少期前後までのアルバムを見返した。自分がどのくらいの期間、祖父母宅に預けられていたのか、実ははっきり聞いたことがなかった。たぶん数か月間か、とぼんやり想像していた。でもアルバムにはちゃんと記録が残っていた。
「1歳7カ月(58年2月)弟が生まれるため祖父母宅で」
弟は2月生まれだ。そして、ちゃんと生まれた後には、生まれたての弟と私の写真が残っていた。なんだ、大したことはなかった。預けられていたのはわずか2~3週間程度のことだった。
もちろん、それにしても寂しかったのかもしれないことには変わりない。ただ、自分が想像していたより、その期間ははるかに短かった。そして、今はなかなか話すことも会うこともままならない弟と私は、とても仲良く写真に納まっていた。
真面目で優等生だった子ども時代の背景は、自分で勝手に理由付けしただけだし、ひとつの理由に絞ることも難しい。それでも、不安に駆られていた真実をアルバムで突き止めることができた。やっぱり写真や記録はちゃんと残しておくと、後々役に立つことがあるんだな、と改めて感慨深い。スマホに撮りっぱなしの子どもたちの写真も、時間を見つけて整理しなきゃ。
2022年12月17日(土)、ドキュメンタリー映画『うまれる』を観て、家族について話す会を開催する。皆さんの幼少期はどんな思い出や記憶がありますか。お会いできるのを、お話を聞けるのを、お話できるのを、とても楽しみにしています。