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非贅沢貧乏
私は非贅沢貧乏である。森茉莉と異なる価値観の貧乏OL(手取り15万OL)だ。
森鴎外の娘森茉莉が記した『贅沢貧乏』では、牟礼魔利(むれまりあ)という人物が自身の贅沢貧乏な暮らしや信条を語る。
本作品は小説ではなく森茉莉自身のエッセイなのだが、牟礼魔利と急に名乗っている点についてはどのページにも説明がない。最初から最後まで特に説明はない。牟礼魔利?だれ?エッセイ?小説?森茉莉のエッセイで書かれている暮らしぶりと同じだし牟礼魔利=森茉莉だよね?もじった名前を名乗っていることに何か意味が?、それらの疑問に森茉莉が答えることはない。
考えるな、感じろ。森茉莉はそう言っているような気がする。賢明なる私の読者諸君ならばわかるだろ、と。(一度は言ってみたいセリフ)
わかる。私がもし森茉莉のようにエッセイを何作品も書くとなると途中で私は私は言うのに飽きてくる。三人称で語ってみよう、となる。三人称となると名前は全くかけ離れた人物のものではなく、読者に私だよと匂わせるようにちょっともじった名前にしようとなる。
私は私に吾猪と名付けた。本名をもじった名前で全くの思いつきだ。
でも思いつきにしては亥年生まれだしちょうどいい。貧乏OL脱出のため猪突猛進に資格試験にトライしているしちょうどいい。95年生まれだから吾に五って入っているのもちょうどいい。よく喋るから口って入っているのもちょうどいい。
思いつきでつけた割にはよくできている。牟礼魔利はどんな風に名付けたのだろう。勝手に思い付きとしてしまっているが深い意味があるかもしれない。または思いつきでつけた割にはよくできていた、ということもあるかもしれない。わからない。調べてもわからなかった。
閑話休題。私は非贅沢貧乏。森茉莉は、牟礼魔利は、部屋にあるもの全てにこだわりがあり、どれも貧乏臭くなく豪華な雰囲気の物しか置かないという。人からの贈り物はほとんどお眼鏡にかなわず廃棄されるという。
私は、吾猪は、部屋にある物にこだわりがなく、貧乏くさい物に愛着が湧いてしまう。人からもらったものは全てありがたく使う。来客者は言う。「実家のような安心感だね、というか実家?」と。
牟礼魔利は家を愛している。
私も家を愛している。
クロウゼットに貼り付けたパタリロの雑誌の切り抜きを愛している。面識のない住職が写ったカレンダーを愛している。古道具屋で買った左上だけ取手の取れた化粧品ボックスを愛している。姉からもらった犬が書かれた靴下を愛している。実家から持ってきたおジャ魔女どれみのシールが貼ってあるアイロンを愛している。黄ばんでいる。黄ばみも愛している。
森茉莉がうちに遊びにきたらけちょんけちょんだろうな。