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いらない感情・・・?

こんにちは、愛音です
私が過去にノートに吐き出していた感情を
今の私がそれを読み感じたことを書きたいと思います

選んだのはこちら

誰にも理解を求めない
何言っても どう言っても 理解なんて無理
だったら最初から求めない
何も求めないのが一番傷つかないんだよ

20代の感情吐き出しノート

まず最初に感じたのは辛い時にこれは誰しもが考えること
ただ最初からこの考えは出てこない
多くの人は理解を求めた後に、理解を求めなくなる

私も最初は辛さを理解してほしかったです
授業妨害が起きているとき
先生、一人でいいから、ギリギリにいる私に気づいて
それで荒れ狂ったこの状況を正して

教師たちは私が自分からもう限界というまで
誰一人として気づいてくれませんでした
本当に気づいていなかったんです

教師という立場の人に過剰に期待をしていました
授業妨害をしている生徒と耐えている私がいれば
目が行くのは授業妨害を起こしている方でしょう
椅子に座って下を向いている私へ気持ちが向く可能性は低い

過剰な期待を勝手にして、叶わくなった時
教師へ理解を求めなくなりました
そんな時に
「大人になったら今よりも大変な時が沢山ある
だから学生のうちからそんなに悩むなよ」
おそらく励ましの言葉のつもりだったのでしょう
だけどこれを聞いたとき固まりました
同時にもう教師に助けは求めないし
理解なんて絶対してくれないと思いました

だったら最初から求めない
何も求めないのが一番傷つかないんだよ

この気持ちは確かに過去の私が持っていたものです
そうですね、
求めなかったら相手から
的外れなことも言われないですし
求めなかったら
裏切りと思うようなことも起きないかもしれない

でも、これを書いていたのは20代前半の私で
35歳の私が今、言えることがあります

たとえ理解を他者に求めなくても
感情を抱えていることに気づく人もいるんです

たとえばピアボランティアをしていたとき
ちょっと気分が乗らず無理して参加すると
「今日はあんまり動かなくていいよ」と言ってくれた先輩
B型を利用してた時には恩師に呼ばれて正面に立たされて
ジーっと私の顔を見た後に
「疲れが出ている。無理をしない約束な」
と何度も言ってくれました

閉じ込めてる感情に気づく人もいます
それはどんな人?と聞かれれば
私から気持ちを解放している相手だと気づいてくれました

20代の私が言ってた
理解を求めないという言葉から感じるのは
周りは敵と強く強く思っていた
その敵の代表格は中学時代の教師のことです
信じてたのに救ってくれなかった
救うどころか気づいてさえくれなかった
それは敵とも思うでしょう

でも教師たちも気づいたんです
タイミングはだいぶ遅かったのですが
私の出したもう無理!を教師たちは
それぞれ受け取ったはずです

そして一番傷つかないんだよ、
これはこの文章で特に印象的です
人は傷ついたらどうなりますか?
苦しいですよね、辛いですよね、
辛さがいつまで続くか見えなくて不安にもなります
きっと20代の私は不安に殺されそうで
傷つきたくなかったんだと思います
これはどんな人でもそうでしょう
自ら進んで傷つきに行く人はいません

だけど傷ついた人に自ら関わる人はいます

どうしたの?と声をかけてくれたり
傷をそっと撫でてくれる人も
傷ついた人の力を信じて見守ってくれる人もいます
世界には優しいお節介さんがいるんです
私の人生にもいますね、優しいお節介さんが何名か

noteでも不安定な記事なのに読んでくださったり
スキやコメントをくださる方もいて
本当に温かい場所です、ありがとうございます

過去の自分がいろいろな感情をもって生きていて
そのおかげで今の私がいます
強い面も弱い面もあり
不安定だけど頑張って生きている
私はそんな私が好きになってきました

20代の感情吐き出しノート
これは間違いなく今の私を作ってくれます
いらない感情なんてない
その時どんなに汚くても、醜いものでも
振り返ると意味が一つ一つに込められています
皆さんも時々立ち止まって考えてみてください
あの感情には何の意味があったのか?と

*愛音*


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