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サグラダファミリアみたいな人生

こんにちは、愛音です

私にはいくつかの障がいがあります。いくつか、というのは本人も正確には把握していないからです。
統合失調症と自我障害と鬱と離人症は確定ですが、他にも怪しいグレーゾーン的なものはチラホラあります。

「普通」の感覚は分かりませんが、私は障がいと障がいグレーゾーンがあっても幸せです。強がりではなくて、本当に幸せなんですよね。
だって、今もこうして「私」として生きているからです。

障がいあるの?
え、なんか普通じゃないってこと?
うわ、可哀想かも…。
しかも学校行けなかったんだって、
だって障がいあったらそうなるよ…。


こんなことを思われても、言われても、私は傷つきません。一瞬は落ち込みますが、すぐ後で立ち上がっています。
障がいとか、不登校とか、ぱっと見ると可哀想、とか、普通じゃないのかな、とか。そんなワードが浮かぶのはもしかしたら仕方ないのかもしれない。でも実際に障がいのある人、不登校の子と触れ合うと分かることがあります。それは「今を生きていることに変わりない」ということ。

例えば不登校で家でYouTubeばかり見て、勉強をしない、外にも出たがらない。一見問題ですが、彼らにとってYouTubeを見ることで心のバランスを取り、画面越しに知識を得ているかもしれない。YouTubeで何が流行ってるの?お勧めの動画ある?なんて聞いて、返事が返ってきたら、それは立派なコミュニケーションです。
不登校でスマホばかり見るのが問題なんじゃない。壊れてしまった世界があり、その世界を構築している途中なんだと経験から思います。不登校はありとあらゆるものの工事期間なんです。心、自分、興味、趣味、好き、嫌い、…書ききれないくらいものを工事しています。そして問題視されるスマホもYouTubeも、工事に必要だとしたら。それは本当に一切触れないよう取り上げるべきモノなのか?考えてしまいますよね。

そして精神障がい者である私はというと。今でも気になったら工事をしています。10代でも20代でも工事はしていました。でも30代の今も工事します。過去に完成したはずのモノも手直しがしたくなる。そして障がいが前面に出た時は心にいる「ミニ愛音」が結集してくれます。
「愛音を守るぞー!」
「愛音を応援するぞー!」
「愛音を見守るぞー!」
「愛音を手当するぞー!」

など役割分担されていき、心ゆくまで、工事が出来ます。

障がいがあること、それは不幸?そんなこと決めつけないでほしい。確かに苦しいし、なかなか理解者もいない場面もありました。だけどそれイコール不幸、なんかじゃない。私は工事を続けることで自分を見つけたことを誇れるようになりました。その工事は誰かを見せびらかすためでもないし、立派でしょ!と自慢するためでもない。「自分を生きるため」の工事です。工事に手を貸してくれる人もいます。孤独な工事なんかじゃない。愛ある、思いやりのある工事です。

だから私はいくつもの精神障がいがあっても、不幸じゃなく幸せなんですよ。みんなで、みんなで生きるために工事をする。このことに気付けるともっともっと幸せになる。
不登校も似たようなものかもしれない。自分を幸せにする工事期間です。

それはいつできるの!?
いつこの子は外に出て学校に行けるの!?
いつ幸せと気づけるの!?
いつ立ち直ってくれるの!?

残念ながらそれを正確にはっきりとはお答え出来ません。
もうこれは完全に私の考えですが、完成しなくてもいいんですよ。かの有名なサグラダファミリア、ご存じですよね、完成していないけれど観光客もくるし、とても有名で、沢山の人に安らぎも与えるあの建築物。人生も絶対に、何が何でも完成が目的じゃない。その途中が大切な通り道で学びの連続です。
まだまだまーだ完成しなくても、それぞれの得意分野で懸命に建設中、諦めない、続ける、協力する。
私の人生はまさにサグラダファミリアです。家族がいて、医師がして、精神障がいの仲間がいて、友人がいて、幸せ。みんなで力を合わせて工事中のものを少しずつ、形にする。
だからこの人生はとてもとても幸せなんです。

*愛音*

2025/02/21
完成よりも楽しいもの、なーんだ?
正解は…
みーんなで悩むこと!
1つのことみんなで考える
みんなで意見を言い合う
それって最高だよねっ!

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愛音
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