生きづらさはある、でも終わってはいない
こんにちは、愛音です
14歳から現在まで精神疾患と共に生きているのですが
差別とか偏見の目で見られたことはおそらくないです
引きこもりのような生活だったので
家族と病院関係者くらいしか会うことがなく
差別を受けたり、偏見の目で見られていたかもしれないけど
まったく気づかずに現在に至る
当事者の仲間は自分が障害者だと告げられてショックだった
世界が終わった瞬間、と口にします
私は障害者であることにショックを受けたことがあるのか?
記憶を辿っていくと覚えているのは
ずっと主治医に診断名を教えてくださいと詰め寄っていたこと
主治医は教えてくれませんでした
「じゃあ私は怠けてるんですか?」と聞けば
「そうじゃない、そんなことはないよ」の繰り返し
診断名を告げられたのは20歳間近になった時でした
その帰り道、私の足取りは軽かったです
なぜなら自分には障害があったことが正しく証明され
それに安堵していたからです
ずっと病気の名前が分からず
自分は頭がおかしくなったんだ!と思い続けていた
記憶は抜け落ちる日があるのも、自傷行為するのも、
寝ることができないのも、叫ぶのも、泣くのも、
全部私が悪いんだ、頭がおかしくなった私が悪い
きっと怠けていたんだ、
真面目に生きていたら頭も正常だよ、
不登校にもならなかった、
ごめんなさい!ごめんなさい!
誰か許して!誰か許してください!
こんな私だけど生きていたいんです…!!
5年ほどこんな気持ちで過ごしてました
でも診断名を告げられると
私の中には病気が住んでる
だからだったんだ、だから記憶がおかしくなって
腕を切ってしまうとか、泣いたり叫んだりするのか
私が全て悪いわけでも、周りを欺いていた訳でもない、
私は極悪人ではなかった、罪人でもないんだ、
それが分かると心が楽になりました
ですが、障害に苦しめられることには変わりない人生です
障害者であることが分かり、心は楽になったけれど
症状にはやはり悩みますよ
話してる言葉が理解できない
文章が読めない
体の感覚がおかしくなる
伝えたいことはあるのに言葉が散らばるのが怖くて
話すことを控えてしまう
体から意識が抜けていく感覚
言葉のまま受け取ってしまう
優先順位が分からずマルチタスクが苦手
大切な電話では普段以上に言葉が散らばるから
電話連絡はすごく苦手
すぐ思いつくのはこれらです
普通の人?でも苦手だったり、似たことはあるかもしれない
だけど私の場合これらが生きづらさなんです
生きる上で辛くて、努力してみても結果がなくて、
なんで私は出来ないの!?
苦しんで何回も、何回も泣き続けています
ずっと闘っているんですよね
障害というものと、その障害と生きる自分自身と
闘うのをやめる時はいつも電池が切れたときです
【でも、なんだかんだ生きてるから
今日はそれでいいことにしようよ?ね?】
こう自分に伝えるとゆっくりですが頷きます
頑張りすぎてしまう、障害に負けたくない、
しっかり生きていたい、
こういった思いが強くて苦しい時に更に苦しくなるけど
電池が切れて動けなくなると
やけに優しい自分が登場して、慰めてくれます
このやけに優しい自分には感謝しています
おかげで今日も生きています
障害があっても自分に優しくしていいんですよ
周りと違う自分だとしてもそれでいいんですよ
大きな間違いは直さないといけないかもしれないけど
人生で間違わない人はいないし、
間違いを個性に変えて生きてる人もいる
私は私のまま生きていきます
障害が住んでいるけど、時に苦しめられるけど、
私は私以外の他人にはなれませんからね
*愛音*