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てくてくぽーたまのすけ

2022.3月19日
ガーナ森というネッシーに会いに行った後、そういえばポーク玉子おにぎり食ったなと思い出したのだった。

↑沖縄のネッシーことガーナ森、改めマーシー記事

わたしが存在を知らなかっただけかもしれんけど、ポーク玉子おにぎりのお店が増えたなーと思う。

流行りはじめた時は、どちらかと言うと「おにぎらず」的なお手軽カンタン料理として「家で食べるために作る」と言う傾向だったような気がするけど…。

ほんのちょっぴ面倒くさいもんな、ポーク玉子。
フライパン使う時点で手が込んでると思う。

もうね、卵溶くのがしんどいから。へへ。
ボウル出すのも面倒くさいから。へへ。

というわけで瀬長島よ!

南国リゾート!

観光特化の島と化した瀬長島。全体的にお高めなお店が多いのだけど、
元はと言えば瀬長島は車の免許取ったら練習がてらドライブ行くところだし、夕日と飛行機とバッティングセンターのデートの聖地だったはず!
あと歴史ロマン!歴史ロマン!ふんふん!

↑瀬長島を歴史目線で見た。
暇つぶしにいつか読んでみて欲しい…

県民からも熱く支持される瀬長島で、この日は友人と会う予定があった。しかしガーナ森の一件であまりに早く着きすぎたのでお昼ご飯を先に頂くことにしたのだ。

てくてく海沿いを歩いて
セナガウミネコに挨拶して
あ、睨まないで不審者じゃねーよ?

そしてここにやって来たのさ

あ、もーめんと、おぶ、、はぴねす
ぽぉえぐ、おきなわ
しあわせのちゅーりっぷ

そういやぁ、沖縄ではポークって呼ぶことが多いけど、内地ではスパムって呼ぶことが多いってほんとかな?

スパムはアメリカのホーメル社の商品名。
この類の豚肉加工品のことを全体的にポークランチョンミートというらしい。

沖縄ではスパムよりも、
デンマークのチューリップ社の商品、その名もチューリップ。また同じくデンマークのミッドランドが2大巨頭だった気がする。
最近は日本産県産のポークも多いから選択肢は増えたけど、やっぱり私はポークといえばチューリップだな!

cmも好きだったよ!
ちゅーぅりっぷっ♪
赤いトキメキ、ミッドランド〜♪
頭に残るぅ
青と黄色はチューリップのパッケージの色

今は缶じゃなくてエコパックっていうぱかっと開くタイプがあって嬉しい。

ちゅーうりっぷ📛
側面とうさぎの額と先輩の腹チラ

昔ながらの缶のやつは缶切りじゃなくて缶の底に付いている鍵でクルクル開けるんだよね。
意外と労力いるし下手こくと結局缶切りで開けないといけなくなる。やった事ないなら試して欲しい。怪我しないように注意しながらね。

10年ほど前に手を滑らせて流血沙汰起こして救急外来に行ったなぁ……なので最近はエコパック派!

医者「ざっくりですねー。どうして怪我を?」
私「あーポーク開けようとしてー」
医者「??こんな時間にですか?」

※深夜3時
お腹すいたんだもーん
きたー!

ダブル玉子ポーク的なもの!400円くらい也。
業務用のでかいポーク缶使ったみたいで丸いポークを切ったやつでした。
海を見ながら美味しくいただきました。

ちょい事件も起きたけど、いい思い出さ。
というかあるあるだな!

ぽ、ポーーク!!!

なんでポークだけ全部ついてきちゃったんだ…泣
玉子おにぎりも美味しかったよ!


あ!
元日本海軍飛行場米軍管理を経てみんなと夢を運ぶ那覇空港から飛行機が飛んでるよ!

なぜ急にポーク玉子のお話をしたのか。
それはポークは戦後米軍統治由来の食べ物だから。
そして今日5月15日は本土復帰の日だから。

沖縄は戦後、米軍統治下に。
そのときもたらさせれたものは多かった。
ドルを使い、ポークを買い、ポチギを買い、水をワーラー(warter)と呼び卵をエグと呼ぶ時代があった。

いわゆるアメリカ世(あめりかゆー)って時代だ。

自分の大切なものをぐちゃぐちゃに破壊し尽くした屈辱と、齎された新しい欧米文化のナウさへの惚れ込み。
それらを複雑な気持ちで取り入れつつ沖縄の人は地道に頑張ったんだ。

その地道な努力は琉球王国が無くなって日本に取り込まれた時から始まってたかもしれないね。
あるいは中国の子分的な小国の時代から続いているのか?

いわゆるチャンプルー文化ってやつの一つだ。

そして沖縄は日本に戻ることを望んだという風になっている。勿論どっちの意見もあった。
結局のところ、どの選択をしても誰かが喜び誰かは悲しんだと思う。

あの当時も今もみんな複雑な気持ちで、未来の誰かのために今を良くしておこうと奮闘してくれたんだと思うよ。

いろんな苦しみがあったね。
でも確かに得るものもあったね。
稲嶺さんがジミーを作ったね。ブルーシールがあるね。エンダーは国内初のファストフードだね。
ステーキ屋が多いよね。タコライス美味すぎ。

そしてポーク玉子おにぎりがあるね。
激動の50年を経て、この美味溢れる沖縄に生まれたことを私は案外悪くないんじゃないかと思ったんだよね。

ドーナツはオロクドーナツだね。


この相反する気持ちに右往左往した50年を機に沖縄の今を再評価するのは、コロナやらなんやらのせいで難しいことではあります。その上で皆さんは今の沖縄をどう評価しますか?
難しい厳しい意見ももちろん多くあるでしょう。問題は山積み!人が一人で暮らしていけない以上仕方ないです。

それよりも私は、、、

次代に紡ぐ沖縄が、さらに50年後の沖縄が、
より明るく楽しく美味しいものであればいいなと思う。

そんな私の復帰50年記事でした。おしまい。

セナガ=レキオ=スフィンクス

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