言葉の原点
中学生の時、担任の先生が自分が好きな本だと言って紹介してくれた本がある。
星野富弘さんの「風の旅」という詩画集
その中でも特に好きだという1ページを読んでくれた。
「ぺんぺん草」
神様が たった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に来るような気がした
私はその詩にとても心を打たれ、
その後、自分で詩集を買って読んだ。
星野さんの本は詩も素晴らしいけれど、
絵も、とてもやわらかな温かな絵。
みていると自分の心が洗われていくのがわかる。
今思えば、言葉に魅了された、最初に巡り合った本だと思う。
長いことしまっていたけれど、久しぶりに読みたくなり、
リビングの本棚に入れていた。
昨日、小学生の息子が学校から帰宅してその本に気づき、
「星野 ・・源? じゃないか、星野・・とみ?」
と聞いてきた。
そうか、今は星野といえば、星野源さんなんだ。
私は、本を出し、
「この人は中学校の先生で、クラブ活動の時に事故でケガをして,首から下は動かないから、この絵も、文字も口に筆を加えてを書いているんだよ、すごいよね」
と言って、本のページをめくりながら説明をした。
日頃は、何かしらこちらが説明することを素直に聞かないけれど、しばらく黙って本を見ていた。
「どうやって書いてるんだろう、すごくきれいに書けてるけど」
と言うので、動画があるかもと検索してみた。
実際の方ではないけれど、漫画で素敵な音楽と共にストーリーが作られている。
見てる途中、涙が溢れ、言葉にならなかった。
年を重ねて明らかなのは、涙もろくなったことだと思う。
見終わって、息子はまたしばらく本を静かに眺めていた。
「こうして、たくさんの本が出てるよ。
学校の図書室にもあると思うよ」
と言うと、
『じゃあ、この本をたくさん売って、もうかったお金で治せばいいんじゃない?』
と言った。
うん、そうだね。
でも… と言いかけてやめた。
一度傷ついた神経は今の医学では戻らないから、治らないよ。
とは言えなかった。そして、そんなはずはないし、今は不可能でも、
今もどこかで研究をされている方や、それを助けようとする替わりのものをつくったりしている方、
何より自分の神経がまた戻るように懸命にがんばっている方がいる。
あきらめたらそこで終わりだけれど、
不可能なんて、ないと思いたい。
不可能だと思っているのは人の心で
あきらめない気持ちが、可能にしているんだ。
だから、『治らないよ』とは、子どもに言いたくなかった。
本を見てる姿は、子どもながらに、病気で動けない人がいるという現実を、一生懸命受け止めているように見えた。
大きくなったら、大きなことはできないにしても、その人たちが困っていたらそばに行き、そっと助けてあげられる人になってほしいと思う。
私自身が体の一部の神経が傷つき、左足首が変形し装具をつけないと歩けなくなってしまった。
たとえ、このままだとしても
それに替わる何かを得られていると思いたい。
今朝、息子は起きてすぐ眠そうな顔で
「なんだったっけ、 星・・」
と聞いてきた。
昨日の本のことだと思い、ほしのとみひろさんだよ
と教えると、図書室で借りてくると言って出かけた。
私が、中学生で出会い、ある意味自分の支えとしてきた本を
こうして子どもが何かを感じとり、大人になってくれると思うと、
とても誇らしかった。
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