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noteの温かさ

ここ最近、現実世界に戻り、(では、noteは仮想空間!??)

通常モードに切り替え、やらなければいけないことを淡々とやっていました。

でも、その合間にも、投稿されてる記事が気になり、色々な方のページをのぞきにいく。そしてコメントしてみたり。

読むだけって…こんなに楽しいんだね…しかも無料で…

投稿後に、誤字脱字はないか、読まれたらどう思われるだろうという、余計なことも考えなくていい。

書く前のように、久しぶりの感覚に、とても新鮮で、

もうこのまま私のページは音信不通にしてしまおうかと思った。

(正確にはコメントや♡押してるので音信不通ではないけれど)

それでも構わないくらい、とりあえず書けたことへの達成感がある。

そして新しく投稿はしないけど、これまで投稿した記事は、

時に熱心に、時に楽しく、時に自分と向き合い書いてきたもの。

『これらが必要な時に、必要な人に届きますように』と思いながら、

そっと待っている心境。

書いてないけど、noteとはつながっている感覚。

公開してる以上は、いつでも誰でも読めるし、何年前のだって、さかのぼって読むことができる。

書いてすぐ読まれなかったとしても、必要なタイミングで誰かに読んでもらうための場所という捉え方もできる。

私にとっての気づきでした。

きっとここで書いている人は、どの投稿した記事も、その時々の思いが詰まった大切な作品ですよね。

書き始めた時は、自分の書きたいようなことを書いて、人を気にせず、自由に書いていたけれど、少なからずフォローしてくれる方がいて、海の物か山の物かも分からない(海の近くに住んでいるので、どちらかといえば海の者ですが) 新参者を温かく受け入れてもらえたような気がして、とてもうれしかった。

このnoteを始めるまでは、フェイスブック、Twitter、インスタ、どれもアカウントはあるけれど、見るばかりで自分で発信したのはnoteが初めて。

それまでは色々な方のブログや記事をみて、色々な思いを知り、その時読んで思っていたことも自分の中に仕舞いこんでいた。

時にはイイネを押すけれど、ほんのたまにコメントをするけれど、

どんなにいい記事も何のリアクションもせず自分ひとりのものとして、受け取っていた。

ひとりで読むこと。

それが当たり前だったし、それでいいと思ってたし、それが心地いいし、何か自分の中で、読むだけで得られたし。

でも、noteを始めたことで、自分の考えや、日々の出来事、たわいもない日常に共感してくれる人がいる。

そして、読んでくれる方がいるんだと実感してからは、その方たちに向けて、どこか思いを馳せて書くことも増えました。

もうひとつ気づいたのが、例えば私でいうなら自分の思いを書き出す。

すると、それをみつけて読んでくれる方がいる。 

♡を押してリアクションしてくれたり、コメントをもらえると、初めてなのに、親近感がわき、一気に気心知れた人に会ったような気持ちになったりもする。

対面では、味わえないこの感覚。

対面で、はじめましての方に、自分の生い立ちなんて話さないし、心情なんて話さない。ましてや、醤油買い忘れたこととか。

noteの中で、知り合うことも、ひとつの出会いだなと思う。

書くことで、文章を通じて、心の交流ができる。

仕事目的ではないし、ただ純粋に書きたかっただけなので、どちらかといえば、このnoteの街で、ひっそりと身近なご近所さん数人と知り合いになってるみたいな感覚でいるのが理想ではあるけれど。

そして、その温かさを知ったこの場所で書くことにより、何より私の思考や、ものの捉え方が明確に変わった。

私の書いてることが正しいことなんて思わないし、

私の抱えている想いなんて、ちっぽけなことだと自分が一番わかっている。

読むだけで終わっていた自分と同じ人がいるとしても、それでいいと思う。

大切なことは、経験したことや、つらかった過去を、書くことで昇華させて、そこで得た思いを誰かが受け取り、重ねて共感することができるということ。

なんの害もない、この温かな連鎖が広がり、時には日常から解放され、よりどころになる。

まだまだ始めたばかりで、知らないことばかりだけれど、

たくさんの気づきを、こんな短期間で教えてくれたnote。

どんな発見があるか、これからも楽しみ。


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