未婚シングルマザー④光編
「いっせーのっせっ!いただきまーす。今日の一日は?!」
夕食時、テーブルに着席し息子の音頭で始める早口ゲーム風なやつ。
早く言えなかった方が「今日はねぇ…」と切り出すこのゲームは息子が急に始めたこと。息子が小学生の頃は毎晩これをやっていた。
すぐに学童が始まる
3月31で保育園が終わり、翌日の4月1日は学童に通い始めた。
これは、子供にとっても親にとっても非常に大事な親子離れの第一関門に感じた。今まではずっと手を繋ぎ離れることがなかった息子が一人で外を歩いているのが本当に不思議だった。そして、ぴっかぴかの1年生♪は水槽から海に放たれた魚のように真っすぐ前を向き胸を張り、自信に満ち溢れていた。内心はドキドキなのかもしれないが、とにかくキラッキラと眩しかった。
学童は学校敷地内にあり自宅から学校まで通学路にはガードレール設置、双眼鏡があればずっと視界にとどめて置ける真っすぐな道。息子の脚で徒歩7分。小さい息子はすぐに風景と同化してしまい正直不安だったが、好奇心いっぱいの息子の自尊心を大切に最初の数日は随分後をかくれんぼしながら後を追った。
保育園では保護者のために今日の出来事をノートやしっかりと口頭で伝えてくれくれたり、色んな先生が見た息子を伝えてくれることが朝から働きに出る私に喜びを与えてくれていた。
しかし、小学校に入ると急に空白になる。
学校の授業ではどんなだろうか。
新しい友達とどんなことをして楽しんでいるのか。
そのようなことを親が知れるのは息子から聞き出すしか方法はない。
夕飯時が唯一、息子の”今日”を知る時間。
「今日の一日は?」の息子の回答は
「今日は休み時間に鬼ごっこをして、最後まで残って楽しかった。」
短い。短すぎる。
話が上手な男子もいるが...うちは短い派。
そりゃそうだ。2人家族だから「私!オレ!」と頑張る必要がないから、どちらかが話しどちらかが聞き役。多くを話さないのは性格なのかわからないが、息子は物静かな性格だ。
まっ、常に今を生きる子供に昼の出来事などそうそう覚えていることが奇跡だろう。何もないということは平和ということ。
それより、「毎瞬を生きる」と私が理解しよう実践しようとして混乱の中にいても、うちの小さな先生たち(息子と猫)はとてもシンプルに簡単に今を生きているのだった。
それはそうと、先に生まれたと書く”先生”も色々だ。1年生の時は、母子家庭の息子を見守り時折報告もしてくれる思いやりのある素敵な先生だった。2年3年は新人で精神が不安定先生、4年に登場したのが古臭い感じのパワーとフォースで子供を抑えつける狸腹先生、5年は友達のように本気で一緒に遊ぶ真っすぐな先生、6年は経験豊かで無駄なく論理的に事を進めるクールな先生。そして6年間の結論は、愛を放出する先生は子供達を引き寄せ、落ち着きがあり互いに助け合いが自然と身につく和んだ雰囲気のクラスになる。それとは逆に、パワーとエゴの強いエネルギーだったり不安定なエネルギーは、子供達を不安定にさせ荒れる子も出没しクラ全体が落ち着きがなくなる。子供は本当に敏感だ。
イジメ
息子が4年生のときにこう言った。
「あの先生は子供じゃなく大人のために仕事をしている先生だよ。」
なかなかの洞察力に感心した。4年生の担任:狸腹が担任になるやいなやクラス全体が荒れだし問題が勃発していった。先生だって人の子。先に生まれようが教員免許を持っていようが、子供達や保護者が先生に気づきをもたらすことなど多々あるだろう。ところが、狸腹先生は、「君がイジメたんだね」と毎日毎日子供達をひとりひとり誘導尋問し、オレはお前らの上にいるのだ!!!とふんぞり返るタイプの先生で全生徒が嫌っていたのだった。
転入生をイジメたとのことで夏休みに呼び出され、紙を読む校長先生。
転入生のママを納得させる会だったようだが、私は大人しくなかった。
息子の話もあり、転入生の話もあるわけだから、どちらが悪いというなら両者なのだ。それより、喧嘩になったことがイジメであるなら、私の知るイジメや息子が体験した4人からのイジメがなんなのか。イジメという概念がわからなくなった。これについては日を改めて、息子が耐えた話を校長先生に告げた。子供同士の世界は見守りを保ちたいと思っているが、息子がアホ男子4人からネチネチ暴言を言われ続けていると聞いたとき、学校に殴り込みしてしまいそうな勢いがあったが、そんな時ほど学校に通う息子の気持ちを考え行動に出せなくなる。イジメは本当に厄介なものだ。
強制子ども会
兎にも角にも、地域の強制的に知らぬ間に入れられた子ども会も古くから続ける色々も私たち親子にはしっくりこなかった。
「誰でも一度はやらないといけないものです。」
半強制的に子ども会役員をやらされる件。
どうしてフルタイムで仕事して夜に息子をひとり家に残して役員会議に出席しないといけないのだろうか。私にはどう考えても優先順位が低い役員会。強制だからと言ってもOKを出せなかった。
前任者も”やらなければならない”から役員を務めていると言っていたが、仕事も忙しく脳がオーバーヒート寸前。息子のこと・お金のこと・その他の管理などなどなど。私はそんなに器用じゃないし、やりたくないことはやりたくないし。断っても翌年同じ現象が起きる、私には本気で嫌な制度だった。
息子が5年生の2学期末。現役員さんから連絡があり、「役員をやっていないので強制的に来年度の役員に決まりました。よろしくお願いします。」と言われたが、この時は仕事を休み息子にも学校を休ませ実家に寝泊まりし、末期癌の母の看病のために家と病院の往復していたときで、事前プリントに役員はできない旨伝えていたが理由なんてのは意味のない事だった。
時系列がぶっ壊れ1日が36時間&私が何人も存在するくらい、急に末期癌と知らされた母のために走り回ったあのときは、一層子ども会に対してネガティブな気持ちしか持つことができなかった。
結局、母はその後すぐにこの世を去ってしまったため、私の代わりに役員をやってくださったお母さん方のお手伝いをと、登校時の旗振りや学校行事の手伝いを出来る限り参加したが、今振り返ってもしっくりこない古い伝統。公立学校も選べればいいのになぁ。
その他もろもろ
息子が先に帰宅し私の帰りを待ちながら用意した手紙。
夕方帰宅すると玄関マットに1通の手紙があった。
その内容は「ママ、大好き。ご飯作ってくれてありがとう」
こりゃ泣くだろう。
泣かしてやろうじゃなく純粋な優しさは暖かい。
4年生から私の手伝いがしたいと申し出て、ベランダの手すりにつかまり腕をいっぱいいっぱい伸ばしながら洗濯物を取り込んでくれるという。私もお言葉に甘えお願いしたのだが、ある日息子が洗濯物を取り込む姿を見にしたとき、全然簡単な作業じゃないことを知ったのだ。ベランダのサンに登り干し竿立につかまりながら背伸びした状態で片手で、ハンガーを止めてる洗濯バサミを一つ一つ外した後、ハンガー類を押し寄せ1か所にまとめ取り込んでいた。慣れたもんだった。その息子の姿を見て思わず涙が溢れた。
記憶に残っていることはたくさんあるが、その中から息子が自分で判断して取った行動が、親が留守の家だから友達とは外で遊ぶ決まりが、いつの頃からかしっかり家がたまり場になっていた。
ある日の午後、たまたま早退して帰宅すると、広くない我が家のリビングに5~6人の男子ギャーギャー騒いでいた。2.5人掛けソファに4人がぎゅうぎゅうで座り電線に留まる小鳥のようで可愛かった。それから、私の入室に音一つ立たない静寂な部屋になったのも面白かった。
私も、両親留守で家に友達を呼んだことがなく、友達の家に遊びに行けば、オボンにジュースとお菓子を乗せて運んでくれるお母さんとその家が羨ましく思ったものだ。だから息子の気持ちもわかるわけで、息子から連絡があった日は私が早退し家に居るようにして友達を呼んだ。私が憧れていたジュースとお菓子、リンゴなどの提供も実施。ついでに楽しそうに遊ぶ姿がみれてWの喜びとなった。
私立の学校はいい!
母が他界し独りになった父は今まで一度もコンタクト取るなんてことがなかったが急に私に電話をしてくるようになった。固定資産税やら何やらと支払いすればいいだけのものもまとめてテーブルに置いてる。
こんなことまで私がやるのか?こんなこともやろうとしないのかと、休日を使って実家と家を行ったり来たり。それを改善するために私は家族を連れて実家に戻る決意をした。私の母校でもある地元の中学に息子を通わせるのに疎外感は避けて通れないだろうと話が出たのは私立中学。
シングルマザーであるし高給取りではないけれど、喜びにお金を投資するなら願ったりと、6年の冬にバタバタと中高一貫校の受験の準備をした。
今までに閉鎖的な環境から帰国子女受け入れのグローバル校へと変わり、何よりも息子が羽を伸ばしているように感じた。「あのまま私立だったら終わってた。この学校で本当に良かった」と言ってくれることで、私の気持ちは穏やかになる。私も気持ち新たにママ友も作ってみたいと設定したら、本当に素敵なお母さま方と仲良くなり、色々な情報を吸収できる環境になった。役員も今なら出来る!と、自ら立候補し役員になってみたが、とにかく何一つ負担もなく出来る人がやるといったゆるいスタンスで、どこまでも自由度が高い空間だと感じている。
まとめ
保育園の6年間に比べると短いように感じた小学生。
楽になれば寂しさもある。
小学生の3・4年生は少し荒れる時期かも。
男子は5・6年になると渋くなる。
私立は手厚い。
子育ては柔軟に自由になることがベスト。
7歳~14歳の魂の目覚め期を経て、15歳~21歳は魂が優勢となる期間になる。
息子の魂は何を求めどんな選択をしていくのだろうか。
マインドがしゃばらず魂が優勢となってほしいところだが、そんなはずがない。やっぱりある時期が来たら葛藤にもがき苦しさを感じるのだろう。
読んでいただきありがとうございました。