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世界的バイオリニストから空手家へ。衝撃的なキャリアチェンジの話を聞いて考えた3つのこと。

世界的にも有名なバイオリニスト、五嶋龍さんが音楽活動を休止。ニューヨークに空手道場を立ち上げて空手師範に専念しているそうだ。


「五嶋龍さん」って何者なの?

五嶋龍さんとは、7歳でオーケストラデビュー後、世界屈指のオーケストラ、芸術家たちと共演している世界的に著名なバイオリニストだ。日本でも彼の成長を追うドキュメンタリーが10年間放送されたり、クラシック音楽番組『題名のない音楽会』の司会を務めたり、クラシック音楽愛好家のみならず、バイオリニストとしての知名度が非常に高い方である。

国内外での文化交流・教育・社会貢献活動にも熱心なほか、ハーバード大学では物理学を専攻。起業家、空手家としての顔もあるなど、その音楽活動に留まらない幅広い活動でも有名だ。

コロナ禍を契機にバイオリニストとしての活動を休止、空手道場を設立

コロナ禍でコンサート活動が困難になった中、自分が本当にやりたいことはバイオリンではなく、空手だということに気づいたという。

「武道」とは、自分自身を護るという言わばサバイバルで、音楽では感じられない部分が多々ある、と五嶋は続ける。
「人生にはいろいろなことが起こります。職業上や人間関係などで、頭の中を簡単に整理できないこともある。フラストレーションが溜まって世界が複雑になってきますが、道場に入り、組手をやって相手に集中していると、『悩み、もがいていることなどは、大したことでもない』と思えてくる。それこそが僕の『やりたかった』こと。武道が持たらすメンタリティーの持ち方に気が付いた時、これを皆に伝えたい、と思ったのです」

https://yomitime.com/event_101422/0801.html


①才能があって成功してても、他にやりたいことに気づくことがある

五嶋さんは幼少期から海外で頭角を表し、世界屈指のオーケストラとの共演を重ねるなど、精力的に音楽活動を行なっていた。また同様に世界的トップバイオリニストとして名高い、姉の五嶋みどりさんも、11歳で米国デビュー。14歳でボストン交響楽団と共演した際に、2度もバイオリンの線が切れながらも全く動じずに演奏を完奏した「タングルウッドの奇跡」(※)は、米国の教科書にも掲載されたという。文字通り、バイオリニストのサラブレッドだ。

幼い頃から気が遠くなるほどの鍛錬を積み、才能にも恵まれ、世界的にも成功している。それでも、30歳を過ぎて「他にやりたいことがある」と気づいて、バイオリンではなく空手家としての道に舵を切った

無意識に「これまでやってきたこと」「自分が得意なこと」の延長線に自分のキャリアを描いていた私にとっては、とても大きな衝撃だった。やりたいことについて、もっと自由に考えてもいいのだと。


②一つのことだけに専念するのではなく、色々なことに取り組む事の意味

バイオリニストから空手家への転身、という表現をしたが、元々五嶋さんは5歳から空手を学び始め、日本空手協会と全米空手連盟の両認定3段を有するなど、空手家としての活動も熱心だったそうだ。(クラシック音楽番組の司会を務めていた時、「音楽と筋肉」というテーマで語ったこともあるとか)

バイオリニストとしての活動だけに専念していたとしたら、空手家としての活動の主軸を移すまでに長い時間を要していただろう。(バイオリニストに専念していた場合、空手家になりたいという気持ち自体、頭に浮かばなかった可能性はあるが)

日本では、何かの成果を出す際は「一つのことに専念して取り組む」ことが良いこととして語られがちだ。だが、海外では、オリンピック出場選手が名門大学での学業を熱心に取り組んでいたり、全く異なる分野で才能を発揮していたり、と、色々なことに取り組むことがごくごく当たり前に受け止められることが多い

自分のやりたいこと、志に気づくまでに相応の年月が必要な場合があることを考えると、こういったプロフェッショナルに限らず、自分の活動の軸をいくつか持っておくことが必要なのではないかと改めて考えさせられた。

③ひとには、サバティカルーそれまでの仕事から離れる期間が必要

インタビューでは、コロナ禍でのロックダウンにより演奏活動を休止したことが、自分の本当にやりたいことに気づく契機になったと語っている。

バイオリニストとして頭角を表しその道の活動が主となっていた中、新型コロナウイルスが蔓延。コンサート活動が厳しくなり、自然と音楽と距離を置くこととなった。「コロナ禍で一番恋しく感じたのは、対面で空手の稽古する場がなくなったこと。ずっと心のどこかに音楽は僕の人生の最終的な道ではないという思いがありましたし、そんな中パンデミックになり罪悪感を感じずに音楽と離れることができ、本当にやりたかった空手にスイッチできました」

https://www.ejapion.com/default/54648/

途切れることなく続いていた演奏活動がなくなったことで、自分の本当にやりたいことが見えたのだ。逆に言えば、コロナ禍がなければ、バイオリニストとしての活動を続けていたのかもしれない。それほど「ずっとやっていることを止める」ことはエネルギーがいることだ。

私自身も2024年現在、夫の海外転勤に伴い、新卒以来ずっと働き続けていた会社から離れている。仕事が変わることでの葛藤やフラストレーションもたくさんあるが、新たなチャレンジや気づきもある。(noteを書き始めたことも、その一つだ)
私は非常に恵まれている立場なのは理解しつつも、サバティカル、仕事から一定期間離れることができる休暇を取ることを出来る人がもっと増えれば、自分の志に気づく人がもっと増えるのではないかと思う。


五嶋さんがバイオリニストという道を歩んでいくにあたっては、いわゆるステージママとしても有名な母親、五嶋節さんをはじめ、家族や先生、共演してきた音楽家たちなど、たくさんの方々の期待があったと思う。その期待を受け止めつつ、自分の本当にやりたい道を選ぶ。五嶋龍さんの覚悟と強さには、ただただ驚嘆する。

バイオリニストとしての公式Webサイトも消してしまったようだし、これから表舞台に立つことは少なくなるかもしれない。けれども、心から自分の好きな道を歩んでいく決断とその姿は、私の心にずっと残り続けるのだと思う。


※「タングルウッドの奇跡」
1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。レナード・バーンスタインの指揮で、「セレナード」第5楽章を演奏中にヴァイオリンのE線が2度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまう。2度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。しかも、ヴァイオリンの交換はソロパートの演奏がないわずかな時間で行われ、演奏が止まることはほとんどなかった。これにはバーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った[2]。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカの小学校の教科書にも掲載された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/五嶋みどり


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あいの
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