悩みとの付き合い方
大きな悩みがあると、なんだかもうダメなんじゃないかって思えるときがある。
あれこれ手を尽くしても、なかなか霧が晴れないことがある。
ちょっと楽になったと思ったらまた落ちて。一体いつになったらこの渦から解放されるんだと、途方に暮れたり。
苦しく、やるせなく、悲しく。
そして逃げたく、放棄したく、篭りたく。
ただ、不思議なのは、そうやってふつふつとした中にあるうちに、しんどさからふっと抜け、何とかなるような気がしてくること。
えっ、こんなに重い悩みだよ?って問いたくなるほどにわかに信じがたいが、まるで霧が晴れたかのようなことが突然起こる。
それは、力ずくで何とかなると思い込むようにしたとかではなく、ごく自然に、何とかなるかもと大いなる感覚が “湧く“ タイミングが訪れた、と表現した方が近い。
ただ混沌とした中で漂う。そして浮上するのを待つ。なんともキツく、なかなかに耐えがたいけれど、心の移ろいを観察すると、できるだけこの無為なる道のりに近いところを辿れる方が、すーっと流れてゆく感じがするなあ。
どんなことも大事なのは、起こったこととの関係を軸に、自分の人生を整理しながら生きてゆくことではないか。
そういう意味では、無為なる道のりといっても何もしないことではなく。その出来事が自分にとって何を意味するのかなど、あくまでも “自分にとって何なのか“ をとらえ、メッセージ性を見出すことは必要なのかも。で、それを粛々とやるからこそ気づきがあり、やがては自分本来の道に近い選択を可能にしていくような。
もしかしたら、だからこそ、漠然とした “何とかなる“ をもたらすのかもしれない。し、それを信じられそうって気になるのかもしれない。
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さて、前出のふっと抜けるには、さいごの砦があるようにおもう。
それが何なのかは人によるとして、わたしの場合でいえば、「何の根拠もなく誰かが力を貸してくれる」という感覚が “湧いてくるか” ってこと。
多くの悩みは、ここまでいけるとふっと楽になる。目の前に安堵なセカイが広がる。内側から力がみなぎってくるのを感じる。前へ進める気がしてくる。ようやく足取りが軽くなり、ごはんがおいしくなる(笑)
わたしにとってのキーは、いってみれば他力本願なのかもしれない。
だからというわけではないが、誰かがいる、これがどれほど大きなことか。ありがたみが身にしみる。そして自分もまた、誰かのそんな存在になってゆけたら、そうやってつながっていてねと願いたくなる。
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