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急いだって、心が豊かになるわけじゃない

武田双雲先生は、わたしにとって(勝手に)心の師としている方だ。先日、欧州初の個展が開催された際のインタビュー記事を読み、号泣した。涙のワケはわからない。ただ、言葉のすべてが響いてきて、気づけばボロボロこぼれ落ちていた。

デジタルの時代こそ「無駄」が必要 書道家・武田双雲さんがスイスで個展

「世界がどんどんスピード重視、効率化重視の時代になってきている中で、書道は墨をすって書くとか、すごく非効率なことをやる。墨の香り、筆の感触、無駄がいっぱいです。でも、集中してたった1文字を何枚も紙に書くという作業が、現代人にはすごく癒しになっているんです。先に先にっていう時代だからこそ、たった1本の線をど丁寧に描く。そういう書道の重要性が逆に増していると思う」

武田さんは、デジタルの真っ只中で生きる若者世代にこそ書道は響くと断言する。「急いだって、心が豊かになるわけじゃない。書道には頭の中にあるものをこの瞬間に閉じ込めるという、瞬間の美のようなものを感じさせてくれる。この瞬間すべてに答えがある目の前のことに全てが詰まっている、っていう感覚が伝わったら、世界中の人々の心がリラックスして、もっと豊かな何かが生まれるんじゃないかな」


中でも、「頭の中にあるものをこの瞬間に閉じ込めるという、瞬間の美」というフレーズにグッと胸をつかまれ、鳥肌がたった。なんて尊く美しいんだろう。私も、もっと、それを表現できるようになりたい。

書道とは、筆と墨、紙のみを使い、たった一本の線に全身全霊をかたむけ文字を形成していく営みだと思っている。(それって究極ではないか。)その営みに沢山の要素が詰まっているからこそ、それらをとおし、結果としての唯一無二を表すことができる。表すというより、浮き彫りになるとか、現れてくるといった方がしっくりくる。つまるところ、表現とは、そこにあるものしか現れてこないからだ。

そのために大切なことがある。

感じることだ。

たとえば、風のにおい、水のおと、夕暮れの空の色や月のまばゆさ、咀嚼の奥の方にある旨み、誰かがつむぐ言葉、醸しだす何かなど。目に見えるものもそうでないものも数え切れないほどにあって、なぜかそれを思うと泣けてくる。あるよって声が、想いが鳴り響く。

そして、最後には「ありがとう」にいきつく。それもこうお腹の底からあたたかなものが溢れてきて包まれる。微笑みや涙とともに。

一見関係ないようにも思える、こうした日常の一つひとつ。こと表現においては、それらを深くまで感じられる感度を磨き続けることが重要なのだ。技術を磨くことと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に。それが、書道であれば、たおやかな線を織りなすし、しなやかさと強さ、繊細さとダイナミックさの共存などを可能にしていく。

なんて豊かな世界なんだろう。

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急いだって、心が豊かになるわけじゃない



双雲先生のそのフレーズが、今日もまた、わたしの中をリフレインする。そして、今この瞬間に、目の前に、グッとフォーカスされる

誰かが決めた「効率」の定義に振り回されてばかりで、見失っているものはないか。

そう問いかけた時、自分の秤を持ち信じていくことの大切さが響いてきた。

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