自然体でいることは、誰かのギフトになるかもしれない
さくらももこさんの本を読んでいると、頼まれてもいないのに(笑)日常を大切にしたくなってくる。
という自分に気づき、ハッとした。
この派生、流れ、心地いいじゃーん。
たとえば、すごいって感じるものを見聞きしたり、それがいいやそうするべきと教わることで影響を受けることもある、けれどもそれよりもすーっという感覚(どういう?笑)で入ってくるし、動機づけされる気がするのだけど、どうなんだろう。
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ちびまる子ちゃんを読んでいると、涙がこぼれてくることがある。
もしかしたら、え?って思う方もいるかもしれない。わかる。だって、ちびまる子ちゃんはクスッとした笑いの要素が多い作品だから。それに、たぶん読み手を泣かせようなんて意図はあまりないと(おもうのですよ笑)
でも。
心が震える瞬間があるのだ。
一つに、まるちゃんとお母さんが台所で楽しそうに話してるシーン。お母さんが手にしてるのは大根だし、話の内容はももえちゃん(好きな芸能人)のこと。よくある日常の光景で、ただそれだけと言ってしまえばそう。けれども、これがとてつもなくあったかく。そのあたたかさに包まれながら、いつの間にか自分の日常と重ね合わせているという。
日常をこんなに見事に描く人を、わたしはほかに知らない。
人間味という言葉は、この人のためにあるのではないかと思えるくらい、ありありと描かれている。
その人間味ある作品・・・漫画にしてもエッセイにしてもそのどれもが、読み手をすーっと受け入れてくれるし、そのままそこに居られる。なんなら自分も登場人物のひとりかのような錯覚まで起こす。だからか、勝手に笑ったり、涙が出たりもする。
そうこうしてるうちに、自分もまた日常を愛したくなってくる。目の前の一人ひとりとの時間がむしょうに恋しくなってくる。
そうして、ふと昨日を思い浮かべて抱きしめたくなったり、今日からをもう少し大切に刻みたくなったり・・・してる。
つまり、あのお茶の間の、自然体の描写から、気づけば大きなギフトをもらっている。し、そのギフトをかかえ、新たな一歩を踏み出そうとまでしてるのだ。頼まれてもいないのに。
これはマジックか(笑)
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というわけで、わたしは今、漫画を相手に互いに自然体であることの心地よさを感じている。ポカポカとした陽だまりのようなあったかさとともに。
そして、日々を大切にしようと安らかな希望に満ちている。
おまけ。さくらももこ展のこと。
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