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コラム#5 水炊き屋の供養からSDGsを考えたときの話

焼小焼だ大漁(たいりょう)だ。

大羽鰮(おおばいわし)の

大漁だ。


浜(はま)はまつりの

ようだけど

海のなかでは

何万(なんまん)の

鰮(いわし)のとむらい

するだろう。


(与田凖一 (1984)『金子みすゞ全集』JULA出版局 より)​​​​​​​




この詩を小学生の頃知った時、いきなり自分が魚の立場になった気がして、視点がひっくり返ったような衝撃がありました。

海の中の魚達が頭に浮かび、怖いような悲しいような、ごめんなさいというような、複雑な気持ちになったことを覚えています。



先日、食通の先輩と二人で新宿にある「玄海」という水たき屋さんを訪ねた時のこと、この詩を思い出す出来事がありました。​​​​​​​



玄海の水たきは、大きな鍋に百羽ほどの伊達鶏を入れ、それを季節や鶏の状態に合わせて、時間を繊細に調整しながら煮こぼすことで出来上がる白濁したスープが特徴です*¹。

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まずはその贅沢なスープだけを頂き、その後に身をポン酢などで頂くというスタイルでした。

水炊き



洋風茶碗蒸しや、鶏むね肉のお造りなどのお洒落な前菜を食べ終わる頃に、女将さんが水炊きの鍋を持ってきて、其々の器に真っ白に乳化したスープをよそってくれます。


少しトロトロしたそのスープを一口飲むと、甘くて優しい味と、鶏のコクがまろやかに混ざりあって、お味噌汁を飲んだ後のようなジーンとする感覚が全身に広がりました。



その安堵感を味わっているところに、女将さんが一言。



「うちは鶏をたくさん頂きますので、毎年鶏の供養をさせていただいております。今年ももうすぐその時期を迎えます」



”供養”



その言葉を聞いた瞬間、この美味しそうなスープのためにたくさんの鶏が調理場で裁かれている光景が目に浮かび、何かの命を貰って自分の命にしているという現実をもの凄くリアルに感じました。



当たり前の事実なのに、まるで知らなかった現実を突然知ったかのような気分で、それはまさに、みすゞの詩を聞いた時と同じ衝撃でした。



ただ一つ違ったのは、あの詩では海の中だけだった弔いが、この店では実際に行われているという事です。



だからなのか、罪悪感よりも「せっかく貰った命なんだから味わって食べよう。」という、清々しい気持ちにすぐ切り替わりました。

(そして1Lはあったであろうスープを2人で美味しく飲み干しました。満腹。)




調べてみると、どうやらこの食材への供養というのは、意外と日本各地の至るところで行われているそうです。


例えば、日本のケンタッキーフライドチキンでは、毎年関東と関西の2カ所で鶏を供養する「チキン感謝際」を行ってるし*²、


築地の波除稲荷神社では魚供養の為の塚が幾つも設けられています*³。



私が思うに、この「供養」という行為には、命を懸けた勝負の末に貰った命に対する感謝の気持ちがある気がします。


単純に、命頂いてごめんね、という気持ちかもしれないし、感謝するからこれからもよろしくお願いします、という気持ちかもしれないけれど、そこには「もの」としてではなく、「魂がある生き物」として接している姿勢を感じます。


現在通っている料理学校では、魚や鶏をまるまる一匹から捌く授業があるのですが、これまで切り身で出てきていたものが、突然生き物として登場することで、クラスの空気が変わるのが分かります。

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そして、魚を捌いた後の頭などは捨ててしまうのですが、この時は、罪悪感を感じずにはいられません。(全部集めて出汁でも取ったら美味しそうなのになあ。。。)




水炊き屋のスープは大量だったけど、残すことが出来なかったし、学校で魚を捌いたら、お頭を使わないと勿体ない気がする。


これは「フードロス」とか「Sustainability」に繋がる話かとも思うけれど、ただただもっと単純に、自分の周りの全部にきちんと感謝しよう、ということなのかもと最近の経験を通して思っています。



感謝の気持ちがあると、食材は貰ってあたり前とか捕って当たり前とかじゃなく、ちょっとお楚々分け頂きますみたいな謙虚な姿勢の方が、妥当な気がしてきます。



料理学校の入学セミナーで学長が「SDGs(国連が定めた持続可能な開発目標のこと)」のことを何度も口にしていて、


何のことかピンとこなかったけれど、そんな風に考えると、ようやく何となく少しだけ、理解できそうな気がしています。

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先日学校の教授に、スペインの南西エリアのグアダルキビール川の河口にある、ヴェタラパルマという魚養殖場の取り組みを教えてもらいました。

ダン・バーバー: 魚と恋に落ちた僕 (Dan Barber | TED2010)

https://www.ted.com/talks/dan_barber_how_i_fell_in_love_with_a_fish?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

 

人間による“何十年後もずっと魚を食べ続けたい”という思いを実現するためには、効率的だけど環境を無視した養殖方法ではなく、自然のエコシステムを豊富に保つことが必要。

そして、そのシステムを人工的に作り出してしまおうという方法をとったのがヴェタラパルマの養殖場。

そんなSustainableな環境で捕れた魚は今まで食べたことがない位美味しかった。という様な話が紹介されています。

魚や他の動物の命を尊重して、彼らにとっての楽園を作ることが、人間の楽園を作ることでもあるのだなという感想を持ちました。



玄海で使われている伊達鶏は、坪あたりの羽数を少なくし、平飼いによる適度な運動をしてストレスを軽減させているそうです。

あの日真っ白な鶏のスープを飲んだ後、ポン酢に鶏の身をつけて食べた時、

しっかりしているけれど、柔らかく、とても深い鶏の味が口の中に広がり、

まさに楽園にいるかのようでした。


※1

水たき「玄海」電話インタビュー(支配人 五郎丸様)

(HP) http://genkai-group.jp/

(玄海ネット通販サイト)https://genkai.buyshop.jp/ (お家で玄海を楽しめるキットがありました)

(玄海LINE公式アカウント)https://lin.ee/5D5YUo0

※2

日本KFCホールディングス 電話インタビュー(広報 小林様)

https://japan.kfc.co.jp/(Retrieved on Sep 16, 2020)

※3

築地・波除稲荷神社 ホームページ

http://www.namiyoke.or.jp/jinjyanogosyoukai.html(Retrieved on Sep 16, 2020)

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