宗教の本を読んだら、世界では想像以上に政治に宗教が利用されていると理解した
政治の怪しさが明るみに出て、気づけばもう1か月が経ってしまいました。
あの日私は鍼に行っていて、終わったら母に話そうと思っていた鍼の先生との小ネタも最近まですっかり忘れていました。
あの一件の衝撃はとても大きく、一人で耐えきれないと感じたので、TwitterなどのSNSを閉じ、数日はタイムラインを見ないようにして過ごしたのでした。
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サクッとわかる ビジネス教養 宗教と世界
今回読んだのはこちら。
サクッとわかる ビジネス教養 宗教と世界
宗教と政治の話が注目されているいま、まずは自分の知識を補うべく選んだ本です。
読んだ動機
動機はやはり、あの一件。そして、その後問題になっている、統一教会と自民党の話です。
自分をすごく恥じたのですが、私は統一教会と自民党のことも、そして実は公明党と創価学会のことも知りませんでした。
公明党と創価学会の議論は、この本の最後にも出てきます。
政治と宗教の分離とは何をもってマルになるのだろう、逆にいえば何をもって確実なバツとできるのだろうと考えているところです。
と、本の感想にも移ってしまいました。
とにかくは、自分がこの分野の知識をつけなければ、議論にも入っていけない。それに、正しい情報を得ているのかも区別ができない。
そう思ったので、一番やさしく読めそうなこの本を選びました。
読んで得たこと・感じたこと
読んでいて一番着目したのは、やはり政治と宗教の話です。
例えば大昔は、政治と宗教は表裏一体だったのだと思います。邪馬台国の卑弥呼とかを、思い浮かべながら書いています。
それと、宗教とはいわゆる私たちのイメージする「信仰を示す行為」と、「生活に溶けこんでいるもの」に分かれます。
初詣やお盆、葬式などの「生活に溶けこんだ文化のような宗教行事」がある。これは、個人が生活において実行するには問題ないと思います。
一方で、「信仰を示す行為や思考を政治に持ちこむ」こと、「他者に強要する」ことはおかしいと思うのです。
これがこの本を得てまとまった、私の「政治と宗教」における考えです。
最後に
私の家には宗教があります。これは先述した「信仰を示す行為」としてのものです。
と言いつつ、子世代の私たちには信仰は強要されていません。親世代、特に父親までが信仰をしてきました。
だから、生活に信仰という行為があることは、なんとなく体感として理解をしていたかもしれません。
でも改めて、信仰と文化を分けて考えること、そして政治と宗教の関わり方を考えたことは、私にとって大事なことでした。
この本でも取り上げられていましたが、宗教によって政治は、あるいは政治に起因して人権まで、大きく変わることがあります。
いま他国で起きていることの一例は、アメリカにおいて中絶が憲法で守られなくなってしまったことです。
こんなことがあっていいのかと悔しくて仕方がないテーマです。これにも宗教と政治の関係性が絡んでいたのだと知って、宗教の怖さを知りました。
宗教とは、過去には人々をひろく救ってくれたものなのだと思います。そしていまもきっと、宗教によって救われている方達がいるのだとも思います。
それを利害関係で政治に持ちこむことに、私は強く反対します。反対することを、ここに述べておきます。
ここまでが、この本についての読書感想文です。