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罪悪感を感じずに休むことはイマココを楽しむトレーニング
フリーランスとしてコーチングやブランディングを仕事としている私は、7月から仕事のしかたを変えた。数か月準備をして、収入の得方と稼働の時間を整えた。
ほんとうに人生っておもしろいなと思うのが、何かを新しく変えたら、「新しくなった」「今までの常識と違う」こと自体に罪悪感が湧くこと。
今回の私は、思いのほか休めていることに、ほんのりと罪悪感が湧いている。いままでも私にとっては十分多かったけれど、今月からはもう一段休みが増えた。
誰に対しての罪悪感? 何がダメなの? と言われたらわからない。でもどこかに罪悪感がある。
これをなくすには、イマココを楽しむトレーニングが必要なのだろうと。そう思いながら、私は日々を見つめ始めた。
罪悪感を感じる
会社員だった頃の私は、朝9時から夜の20〜21時まで働く生活をしていた。もちろん早く終える日もあるけれど、逆に24時まで会社にいた日もある。
1日の拘束時間は11〜12時間ほど。これが長いのか短いのかはわからないけれど、私にとってはこれが普通だった。
コロナ後は異動やリモート化もあって少し短くもなった。だけど、私にとって会社員とは、12時間の拘束もやむを得ないと感じる働き方。
そんな生活を手放してフリーランスになった後も、私は正直かなりの時間を仕事に費やしていた。
私の仕事はお客さんと話すことなので、話す時間だけを計算すれば、会社員の頃よりは稼働時間はかなり短い。多く見積もっても1/3とかになる。
だけど、お仕事のことを考えたり、何かと準備をしたりする時間を数えれば、無限にふくれあがるというか。
アポの時間としての稼働時間が減ったことに私は満足しながら、「仕事のことを考える時間」として時間を埋めて、「仕事のために何かしている」ことに安心していた気がする。
そうしていままでの私は、休むことへの罪悪感を見ないようにしていたのかもしれない。
イマココを楽しむトレーニング
いまの私は、ライフコーチや個人のブランディング・コンサルティングのようなことをお仕事にしている。
それで、この7月からは新しいお仕事を自ら作り、自然と稼働時間が減った。
アポとしての稼働時間はもちろんのこと、戦略を立てるという意味での「お仕事のことを考える時間」も減った。今は作ったことを動かす時期だから。
そんな私は、急に罪悪感を感じるようになった。もっと仕事のことを考えるべきなんじゃないの? と、自分のなかから声が聞こえる。
だけどこの罪悪感を、私は「仕事のことを考える」のではなくて、あえて「イマココを楽しむ」ことでなくそうとしている。
理由は1つで、私がイマココを楽しみたいから。だって、そのために仕事のしかたを変えたし、「仕事のことを考える」時間を増やしたら本末転倒なわけで。
私たちはもっと自分の時間を生きていいはず。日本人は私が思っていた以上に他国の方よりも働いてるようだと、ドイツに来てから知った。
いまの私は、休むことへの罪悪感がズーンと底の方にある。もっと次のことを考えなくていいの、未来のことは大丈夫なの? なんていう声も聞こえる。
その声に、負けたくないと思う。未来のことも考えるけど、その前にイマココのことを楽しもうよねと。
いま私と一緒にいてくれているクライアントとか、センパイコウハイのコウハイたちとか、たくさんの時間を積み重ねている恋人とか。
いまここの大事な人たちとの時間を味わいきってこそ、次のことを考える段階に移れる。私はいま、イマココを楽しむトレーニングをしている。
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