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仕事の時短にAIを活用することにした
去年の10月に開業届を出し、個人で仕事をする私は、まだまだ自分で全てをやる時期なのかもしれない。
けれど、学校に通って勉強をしながら働く私には、正直時間があまりない。
それなのに、計画性がなく体当たりな性格だから、余計に時間に余りがない。時間がなくてもやりたいことは溢れるので、AIを使うことにした。
個人でも安価にAIを使えるなんて、ほんとうに信じられない世の中だ。私はデジタルネイティブな世代だと思うけど、まさかこんな時代になるとは。
子どもの頃、未来で機械化やAIの導入が進んだ時、使われる側ではなく使う側にならねばならないということをどこかから聞いた。
そんなことを子どもの頃に考えていた。すっかり忘れていた記憶だけれど、一時は強烈に考えていた。
いつの間にか、その「使う側になる」時代がやってきたようだ。私に使いこなせるだろうか。やってみなければわからない、やってみるしかない。
AIを使ってみようとした時、私の仕事のなかで、AIに置き換えられないものがあることを認識できた。
でもそれは、ほんとうにどうしてもできないというよりは、「いま私が導入したAIではできない」ということ。完全に置き換わらないものではない。
もし仮にもっと高価なAIや他分野のAIを使うとして、私の仕事はどこまで私の手元に残るのか。
そして私は、置き換えて仕事の質を上げる側になるのか、それとも置き換えられて仕事が減る側になるのか。
私は前者になると信じている。けれど、未来のことはわからないので、やっぱり私が使う側で居続ける努力をするしかない。
仕事の時短に、AIを活用することにした。
この事実自体は、お金で時間を手にすることができて、まったくにありがたいこと。
けれど、ここに油断していてはいけないのだろう。私の存在を取られるつもりはないけれど、どんなふうに使う側になるかを考えている。
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