お盆が終わり、終戦日も過ぎたいま、「日常」に戻っていく。
今年もお盆が終わった。何をしたわけでもないけど、お盆期間とは一種の祭り期間だと、日本の田舎で生まれ育った私にはインプットされている。
今年のお盆は、会社員の父が休みをとって家にいたり、家族で日帰り旅行に出かけたり。そうだ、みんなで焼肉&ピザパーティーもした。
今日は盆の明けだね、みんな(またあちらの世に)帰っていくねと、今朝は母が話していた。
お墓参りに行けないくてごめんねと、胸の内でおじいちゃんたちに手を合わせながら、盆の明けを感じる朝だった。
お盆が終わった、終戦日も過ぎた。
私の誕生日は12月8日。パールハーバー、いわゆる日本が戦争を始めた日。
弟の誕生日は8月15日。そう、終戦の日。私たちはずっと、この日付を背負って生きている。
おまけに言えば、私の名前には「和」の字が入っている。
子どもの頃によくあった、「自分の名前の由来を聞きましょう」の宿題。
母が「平和に生きる」みたいなことを言ったもんだから、私は私の半径5メートルから世界全体までの平和を願い続ける人になった。
という冗談はさておき、私は誕生日でも名前でも、戦争と平和を思いつづけている。
そんな私が、日本で、実家で、過ごす夏。おばあちゃんが見るテレビからは、毎日戦争の話が流れる。耳が遠いおばあちゃん仕様なので、大音量だ。
これでもかというほどに、戦争の話を聞いた。戦争のむごさは、もうよくわかっている。それよりも、日本が侵略国だったことを流してくれないかな。
私たちは、戦争が「私たちにとって」むごいから繰り返さないという気持ちは、もう持っていると思う。
それよりも、日本が侵略した結果、侵略された国にどんなむごさがあったのか。こっちのほうを知るべきだと思っている。
「日常」に戻っていく。
お盆を過ぎたら、戦争の話はテレビから薄れていくのであろう。
お祭りのように、毎年一度でも、戦争の話がテレビで大きく取り上げられるのは大事なことだ。なんと言ったって、やっぱりテレビの影響は大きい。
自主的にテレビを見なくても、こうして帰省すれば家族の見ている番組を見聞きすることになる。
一番手軽な情報の入手方法はテレビだ。テレビで流れていることこそ真実だと受け取る人だって多い。
だから、年に一度のお祭りのようなものだとしても、戦争の話をテレビが大きく取り上げることの意味はある。
ただ、侵略についての観点は入れて欲しいけど。
そんなお盆が終わる。これからは、テレビも家も日常に戻っていく。
後でちゃんと、おじいちゃんたちに手を合わせよう。
今年の夏も、帰ってきてくれてありがとう。家はどうだったかな。またこれからも、私たちを見守っていてね、と。