婚姻以外の同居という選択肢
風邪を引いたり体を痛めたりと、ここ数日は散々だった。その前の1週間ほどが最高に楽しかったので、そこと帳尻を合わせるかのような期間だった。
ここまでしっかりした風邪はひさしぶりだった。
日本から持ってきた薬の中から効きそうなものを探し、かろうじて持っていた抗生剤なども使って、なんとか今朝はそこそこの体調に戻っている。
もともと喉が弱い私には、抗生剤は欠かせない。ドイツで病院に行くのはまだハードルが高いから、持っていて本当によかった。
それで、この薬があれば完璧かと言われればそんなことはない。効くまでの間は咳や呼吸が辛い。咳の薬も持っていたけど、効能に不足感があった。
そんな私に、いま一緒に住んでいるホストマザーが、市販の薬を買ってきてくれた。これがよく効いて有り難かった。
身近に私を心配してくれて助けてくれる誰かがいることの有り難さを、改めて感じているこの数日のこと。
1人ではどうにもできないこと
日本で一人暮らしをしていたとき、私はたいていのことを自分でなんとかできる環境を作っていた。
風邪の時のためにおかゆのレトルトやエネルギーチャージ用のゼリーをストックする、電気が切れた時のために脚立を家に置いておく、などなど。
会社員をする以上、転勤によって1人で転々とすることが多いだろうし、その度に頼れる誰かを探すのは嫌だから、1人で生きることに備えていた。
この備え力によって、異国の地である韓国でコロナにかかった時も、誰に助けを求めることなく1人で乗り越えることができた。
それくらい、私は比較的1人でも生きられる人間なのだろうと思う。
それでもやっぱり、どうにもできないこともある。例えば骨折によって動けなくなるとか。これは私はまだ経験はないけれど。
あとは、実際に困ったのは男性絡みの問題。見た目が弱そうだからか、私は変な男性に絡まれることが度々ある。
静岡に住んでいた時に二度ほどあって、その度に会社の同僚にしばらく付き添ってもらったことがあった。こういうことはどうにもできない。
たいていのことは1人でできるようになった私だけど、誰かに頼らざるを得ないことがあることは、経験も含めて理解はしている。
婚姻以外の同居という選択肢
今回風邪を引いた私に、サッと手を差し伸べてくれたのは同居するホストマザーだった。
「aimi、風邪引いたの?」「薬局で何か買ってこようか?」と、部屋にこもる私にメッセージをくれた。
「咳止めとかトローチとかどう?」と、薬の名前がわからない私に、ドイツ語で選択肢をくれた。
「これがよく効くし味もいいよ!」と、気軽に飲める咳止めのお茶も買ってきてくれた。
異国の地で何を買えばいいかわからない私には、とっても有り難かった。(お金はもちろんあとで返した)
私は今のところ結婚というものはしていなくて、人生で必ずしもなければいけないものとも思っていない。
それでも、例えば家族のような心の許せる存在がいるから、いまの私が安心してここに在れるとは思っていて、そんな近しい人の大事さは感じる。
例えばその実現のしかたとして、誰かを養子に迎え入れるようなことは考えてはいた。人生での支えになれるといいなと思ってのこと。
だけど、今回私はまた新たな選択肢を知った。日本では少ないけれど、ドイツではメジャーなこと。
家賃というものを介して同じ家に一緒に住む。ここには「支払い」が発生しているから、そうでない場合と比べて関係性がわかりやすいと私は感じる。
私の人生に、結婚というものがあるかどうかはわからない。だけど、あったとしてもなかったとしても、こういう同居もいいなと思った。
異国に住んで、私はホストマザーに少なからず助けてもらっている。私も将来自分に余裕ができたら、こんな方法で誰かに恩を返すのもいいなって。
恩とは人から人に循環していくものだと思う。次の人、次の世代と、回っていくものだと思うから。
私もその循環のうちの1に、なれるといいなって。1つ選択肢が増えた経験だった。