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Half Birthday
9月27日、どうやら生後半年を迎えたらしい。
3月27日に私は娘を出産したようなのだけど、あれって本当に現実だったのかな。それくらい、未だに夢みたいな気がする。
生後半年、ハーフバースデーを迎えてみて、特に感慨も何もない自分に驚いている。
3月27日の昼過ぎに、すぽんと私の体から飛び出してきた私の赤ちゃんは、それからの半年間、大部分の時間片時も離れずずっと私の隣にいる。
今日までの半年間、大変だったはずだし、私は頑張ってきたのだろうと思うし、疲れも溜まっているはずなんだけど、どれも全部手からこぼれ落ちる砂のように私の記憶からサラサラとこぼれ落ちて、のんびり幸せな日々を過ごしてきたかのような錯覚に陥っている。
だから朧げな記憶を辿ってみる。確かにあったはずの過去を思い出してみる。
3月26日の朝は、夫が作ったサンドイッチを食べながらドラマを観ていた。私がトイレに行って、破水したかもと言った時から日常が断絶した。38週5日。
夫は「予定日までまだ全然だし、愛ちゃんまたまた〜w」くらいにしか思っていなかったらしい。だいぶ後になってから聞いた。おのれ。
それからの24時間は、破水したのに陣痛が全然来ないから陣痛促進剤を打つことになって、それとほぼ同時に本陣痛が襲ってきて、4時間ちょっとの超スピード出産でジェットコースターみたいにうおおおおおおと勢いで娘を産んだ。
予想を超えるお産の進みの速さに助産師さんもびっくり。
あわや夫の立ち会いが間に合わないところだった。
夫が分娩室に飛び込んできた時と全開いきみOKになったのとほぼ同時だったと思う。2、3回のいきみでするんと娘が出てきた。現場ではいきむのがうますぎる初産婦と評判になっていた。
3月27日の13時半。2680g、娘爆誕。
夫そっくりの顔だった。
でも1つだけ私に似ていて、それは目の二重だった。まだ顔のむくみがあるのに二重は珍しい、美人さんだねと遠くからお医者さんの声が聞こえた。
するんと安産で生まれた娘はしかし低体温で、出てきてしばらくは抱かせてもらえなかった。生まれた瞬間、ほんの一瞬顔を見せてもらえたきり、保温器の方に連れていかれて1時間くらい離れ離れだった。
それが悲しくて悔しくて、私の体温で温めてあげればいいのにと心の中で思っていた。私は私で胎盤を出したり会陰切開の縫合したりで後処置が長引いて疲れ果てていたので、実際には赤ちゃんを抱っこする余裕は多分なかったのだけど。
無事に体温が上昇し、まだ分娩台の上にいる私の元に戻ってきた娘のカンガルーケアをしたときの感動は、思い出すだけで胸がぐっと熱くなる。
まだ目がよく見えてなかった生まれたての娘。
壊れそうなくらい儚くて小さくて、ふにゃふにゃだった。
それなのに、私のおっぱいにガブリと力強く食らいついて初乳を吸ってくれた。
人間って自然界の生き物なんだなあとつくづく思った。
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それからは、最初のひと月でぐんぐん体重が増えて、増えて、どんどん増えて、気がついたらむちむちの赤ちゃんに変身していた。
いつの間にか目が合うようになって
首が座ってしっかりしてきて
自分の手でモノを掴めるようになって
嬉しいとき足をバタバタさせるようになって
なんでも口に入れてぺろぺろするようになって
ころんと寝返りをするようになって
ころころころころ転がるようになって
絵本を読んだら特定のシーンでにこーっと笑顔を見せるようになって
名前を呼んだら振り返るようになってきて
顔を覗き込むと、真っ直ぐに私の目を見つめながら私の顔をペタペタ触ってくるようになって
最近では、うつ伏せ状態でお尻を高く上げてふりふりして、もうすぐハイハイしはじめそう。
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昨日の娘と今日の娘に違いは感じないのに、気がつくといつの間にか少しずつ変化していて、3月27日の0地点を振り返るとわずか半年でもだいぶ遠いところまで来たような気がする。
ずーっと一緒にいるのに、見飽きることはなく、寝てる顔も笑った顔もきょとんとした顔も泣いてる顔もなにやら訴えかけてくる怒った顔もかわいい。
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夫も1日に何十回も「かわいい」を連発している。こんな夫を初めてみた。
私は私で、出したこともないような高い声で「こんなかわいい子はどこからきたんでしょうか!ママのお腹からでした!」という茶番を毎日繰り返している。こんな自分がいたとは知らなかった。
このかわいくて不思議な生命体が私の体から本当に出てきたのだろうか。
あの3月27日の不思議な出来事は本当に現実だったのだろうか。
私は自分の体をまるごと痛めるような負担を本当に引き受けていたのだろうか。
今となってはあの日の出産の痛みは毛ほども思い出せない。
「もう2度と経験したくない」とあの日に思ったことだけは覚えているけれど、そう思うほど本当に辛かっただろうか。
座るたびに疼く会陰切開の傷の痛みも、もはや失禁に近い尿漏れも、お互いに授乳が下手くそで毎回手間取っていたことも、2時間ずつの細切れ睡眠も、ホルモンがめちゃくちゃだったマタニティブルーズも、過去の事実としては確かにあったはずなのに、まるで誰か他人の話を聞いているような気がしている。
一生懸命に記憶を辿らなければ、大変だった1つ1つはとても思い出せなくなった。
娘が生まれて、長いこと絶縁状態だった母と再び連絡を取り合うようになった。
母は「愛は一番最初に産んだ子どもだから、やっぱり特別」だと言った。
それから「愛が赤ちゃんだった時の毎日は人生で一番幸せだった」とも言った。
その母の気持ちが、今ならわかる気がする。
妊娠がわかったその日以来、次から次へと初めてのことだらけで。
自分のことならどうでもいいけど、子どものことだからいろんなことに過敏になって。
壊れそうな小さな命の全責任を自分が負っているかのような使命感と緊張が常にあって、とにかく必死で、真剣で、そして赤ちゃんは尊くて、大切で、ただただ愛おしい。
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いろんな感情が心の中でマーブリングみたいに入り混じって、自分でも自分の気持ちがよくわからない。だけど歩んできた日々の追憶は淡いピンクの愛しさ一色に塗りかたまって、ただ幸せだったという思いだけが残っているのだ。
私はまだ、たかだか半年しか母親であることを経験していないけれど、すでにそんな思いが芽生えるようになった。
まだまだ育児の渦中で毎日必死に過ごしているけれど、目まぐるしい日々の中で、半年間不変のままの気持ちが1つだけある。
それは。
無事に生まれてくれてありがとう。
元気にすくすく育ってくれてありがとう。
私たちをママとパパに選んでくれてありがとう。
こうして書いてみたら、やっぱりすごく感慨深くなってきた。
Happy half birthday
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半年間、よく育ってくれました。
おめでとう娘。ありがとう娘。