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大豆田とわ子と3人の元夫 「過去とか今とか未来は別のところにある」が腑に落ちるようになった

予定を詰め過ぎて、大切にできていないことがある。そんなことに気づいて、9月頃から1人の時間を作るようにしている。

結局予定は入っていて、人が好きなんだな〜と思いつつ、いろんな人と会っていたところから、少ない人と密にコミュニケーションをとる9、10月にしている。

ドラマ「大豆田とわ子と3人の元夫」は2年前くらいから好きで、なんだかんだ3周くらいしている。好きなシーンはたくさんだけど、いつも7話のオダギリジョーのセリフの意味がいまいち掴めていなかった。

けど、前より1人の時間を増やしてから見たら、この意味がストンと腑に落ちて自分でも驚いた。

過去とか、未来とか、現在とか、そういうのって、どっかの誰かが勝手に決めた事だと思うんです。時間って、別に過ぎてゆくものじゃなくて、場所っていうかその・・・別のところにあるもんだと思うんです。人間は、現在だけを生きてるんじゃない。5歳、10歳、20歳、30、40、その時その時を、人は懸命に生きてて。それは別に、過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。だからあなたが、笑ってる彼女を見た事があるなら、彼女は、今も笑ってるし。5歳のあなたと、5歳の彼女は、今も手を繋いでいて。今からだって、いつだって、気持ちを伝える事ができる。

「過去」の出来事なのに、「今」別の世界での出来事としてあるな〜という感覚。
別に今起きているわけではないことはもちろん分かっているのだけど、過去とか今とか、そういうわかりやすい区切りで捉えるのではなく、ちゃんと会った時の情景が、目の前にふわっと映し出されるみたいなこと。

わかめ漁のお手伝いをしていたときの小屋での賑やかさとか、ゼミを受けていたときのリラックスできる温度感とか、活動していた拠点から友達と帰っているときの雰囲気とか、ありありと目の前で起こるわけでもないけれど、今も自分の中に残っている実感があるなぁ、みたいなこと。


それは出来事だけでなく、人に対して特に思う。会ってない人の顔が思い浮かぶし、その人との距離もそう遠くに感じない。

1回しか会ってない岐阜の先輩とか、最近BBQしたちょくちょく会う友達とか、長野に行った時に1日お世話になった方とか、場所を貸してもらったご縁から少し話した方とか。最後にあってからどれだけ経ったかも、頻度もあんまり関係なくて。

時間とか超えて「ただ繋がってるな〜」と思えている。予定を詰めて、「今」会うことを多くしていたときには気付けなかった不思議。

人と少し離れてみたことで、今は一緒にいないけど、より繋がりを感じる。「時間って別のところにあるもんだと思うんです」の意味がなんだかすごく分かる。

インサイド・ヘッド2で知った、セカオワの「プレゼント」でも同じようなことを言っていたな〜とふと思い出す。



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