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11/6 AM8:39

お腹が痛い夢を見ていた。やけにリアルだと思った瞬間、お腹が痛いのは現実だと気づき、ほとんど目を瞑ったままトイレに駆け込んだ。

そんな慌ただしい目覚め、時計を見ると6時半。カーテンの隙間が仄暗く白かった。漏れてくる微かな光にキッチンの観葉植物のシルエットが浮かび上がっている。とても美しかった。

この景色は早朝にしか見ることができない。想定外の早起きだったけど、やっぱり早起きはいいものだと思い知る。夜が明ける時間帯がとても好きだ。

そのままベッドに入る。二度寝はもうできそうもないが、このまどろんだ時間がなんとも心地よい。そういえば、ここ最近自然とマイナスなことばかりに意識が向いていることに気付く。

恐らく年齢的なことも関係しているのだろう。体力や気力が減少することで多少なり不安に思うことも増えてきた。不満も心配事も多い。

繰り返す季節の中で歳を重ね、「変わり映えのしない生活だ」と思うものの、生きていくとは難儀だと年々思い知らされる。だが、ちょっとばかり難儀に引っ張られすぎている。

まどろみの中、私は心地が良かった。慣れた寝具、自分の匂いがついた場所には私を攻撃するものは一切なく、安心を感じられる数少ない場所。だけど暮らしの中でもきっと、こんな瞬間はあるのだ。誰かといるときのちょっとした会話の中にも、通勤中の何気ない時間の中にも。ささやかな幸せな時間が、マイナスなことに覆い隠されている。

「大リーグボール養成ギプス」よろしく、「心地よさ養成ギプス」が必要だ。そういう結論に達した。人は放っておくとどうしたってマイナスな方に意識が偏ってしまうという。リスク管理という点で遺伝子レベルのことだから、私のちっぽけな意識は負けるに決まっている。だからギプスを装着する。それは自分にとっての心地よさを追求すること。せっかく生きているのだから、心地よく生きたい。心地よい時間を増やしていきたい。ひとまず寝具とソファを片っ端から調べてみる。生きる目的ができたようで、少し嬉しい。

今日が始まっていく。どんなささやかな幸せが、どんなトラブルが、どんな笑いが、どんなイライラが待っているだろうか。どうしたって「死」に向かっているこの人生では、どんなことも「生」を感じさせてくれる。死ぬその瞬間、全部ひっくるめて「面白かった」と言える確信はもうある。

でもやっぱりささやかな幸せを増やしたいというささやかな願いを抱えて、今日も社会に行ってきます。良き1日になりますように。

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