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何か書きたいあなたへ贈る、何か書けるかもしれないヒント
「エッセイを書く」
言葉にすると簡単だが、実際に書こうとしてみるとなかなか難しい。
「毎日更新してみよう」
そんな意気込みを持って書き始めてみるのだが、数日続けてみるとすぐ壁にぶつかる。
「…今日、書くことがない」
パソコンの前で真っ白な画面を見ながら「うーん…」と頭を悩ませることが多くなる。そんな自分にしんどくなり「今日はやめとくか」「今日は休憩の日にしよう」と、いったん筆を置く。すると、それをきっかけにいつのまにか書くことから離れてしまう。
これは紛れもなく過去の僕の姿だ。
noteを始める前、僕は別のプラットフォームでブログを書いていた。でも、全然続かなかった。「何か書きたい」と筆をとり「何も書けない」と筆を置く。それを何回か繰り返していた。書けない自分に負い目を感じてしまい、「書くこと」が嫌いになりそうな時期もあった。
そんな中、「今度こそは」と意気込んで2021年の11月にnoteを始めた。なんだかんだ言って「書くこと」が好きだったからだと思う。来月でnote歴が1年になるが、今回は途中でドロップアウトすることなく日々更新を続けられている。
今までと何が違ったのか。
この記事では、そこについて書いてみようと思う。これを読んでくれる人が、エッセイを書くためのヒントを得てくれたら嬉しい。
毎日特別なことは起こらない。それを認めちゃう。
何か書こうとした時、必要なのはやっぱりネタ。読んでくれる人に「面白いと思ってもらいたい」「共感してもらいたい」と思うのは、書き手として普通の感情だと思う。ただ、毎日面白いことは起こらないし、毎日が「喜怒哀楽」の感情を揺さぶるような出来事ばかりではない。
時々、仕事から帰宅して夕食時に家族から「今日どうだった?」と聞かれることがある。
少し考えてみるが、「こんな面白いことがあったよ」と得意げに話せるようなことはなかなか無い。
僕を含めて、だいたいの人の毎日はきっといつもと変わらない平穏な日々なのだと思う。でも、それでいい。ジェットコースターのように乱高下する毎日は、見ている方は楽しいかもしれないが、当事者はきっと疲れてしまう。
じゃあ、何を書くのか。
僕が思うに、エッセイのネタは日々に隠れているちょっとした「発見」がベースになる。
「いつもと同じ」と感じる1日を、もっとよく観察してみる。すると、いつもと違う何かが隠れていたりする。
例えば、僕は家で最近「電気を点けすぎ!」と指摘されることがあった。これは家族との日々のやりとりの一部で「あ、ごめん」で終わる話。だけど、ここでふと思った。
んー…自分では無駄に点けているつもりはないんだけどな。
そこから「どうして自分は電気を付けすぎるのだろう?」と考えてみた。ちなみに、これをきっかけにして『部屋を明るくする理由』という記事が一本書けた。日常の中に溶け込んでいるやりとりの中の、家族からの何気ない一言。それだけでもエッセイは書ける。
ポイントは2つ。
「いつもと違う変化を感じとる」こと。そして「書く時に気負いすぎない」こと。
いつもと変わらない1日に映っても、きっと昨日とは違う何かが起こっているはず。それを面白がって書いてみる。「なにか見つけよう」と、周りを、もしくは自分自身をよく見てみる。これがエッセイを書く種になる気がしている。
あと、種を見つけたらそれを立派な花にしようと思いすぎないことも大切だと思う。せっかく見つけた話の種だから、大切に育てたいと思うのは当然のことだ。でもその気持ちが強すぎるがゆえに、書いては消し、書いては消しを繰り返して「書けない」と頭を抱えてしまうことがある。おそらく、書くことへのハードルを自分で上げすぎているのだ。
もっと気楽にラフでいい。いつだって、誰かに「聞いてよ」と軽く話しかけるようなくらいのテンションで書いてみることオススメしたい。
書き始めの頃は、悩みに悩んで800字のエッセイを5日かけて書くよりは、300~400字のエッセイを毎日書いたほうが文章はうまくなると思う。
日々のちょっとした変化を「発見」する。
そして短くても良いから、それを都度文章にしていく。
これが今まで書き続けられなかった僕が、日々書いていけるようになった理由かなと思う。やり方は人それぞれなので、あくまでも参考までに。
この記事を通して「自分も何か書いてみようかな」と考える人が増えますように。
(note更新301日目)
※この記事は、所属しているメンバーシップ「エッセイのまち」で執筆依頼を受けて書かせていただきました。機会をくださった「ともきち」さん、ありがとうございました。