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#14.house赤羽雄二さんルーム100回記念登壇

✨100回記念『赤羽雄二の何でも相談カフェ』で登壇したこと✨

ーまずは、感謝の気持ちと御礼
ー自分の変化したこと

感謝

赤羽さん、光子さんへ
100回記念おめでとうございます。
50回記念の時にも、今回もご縁を頂き、これは本当に光栄なことだと感じています。ありがとうございます。

お二人に出会ったのは、おととしの10月の、まさにこのルームでした。
当時の自分は本当に生きにくくて、『どうすれば、威圧的な態度をとってくる人たちから振り回されないで、生きていけるんだろう』とか、『いつまでも両親のことで苦しんでいる現実をいい加減やめたい』『自分が変わりたい』という気持ちでいっぱいで、とにかく何かのきっかけを見つけたくて試行錯誤していたところでした。

当時、oさんや他の仲間の毒親のお話をされていたのが今でも心に残っていて、その時感じたのは『悩んでいるのは、自分の家庭だけじゃなかったんだ。自分が思っていた以上に同じ思いをされている方がいたんだ』とか、『自分より遥かに苦しい経験をされていても、明るく、しかもみんなの前で堂々とお話されていてすごいな』など、こういうコアな話をできることや、それを受け止めてくれる赤羽さんや光子さんみたいな存在がこの世にいるんだという印象でした。

oさんに至っては、母親からの言動やその時に抱いた感情、そしてゆがみの共感ポイントがたくさんあって、そんなoさんがどんどん毒親退治されて行く姿は、私の希望でもありました。

変化したかった私は、追いかけるように、勇気を振り絞って、赤羽さんと光子さんに相談をしました。
私の両親には事情があって、数か月後に我が家に引っ越してくることになっていました。同居をする上で、自分がどう母と関わることが大事なのかのヒントが知りたい気持ちでいたからです。

自分が毒親退治をすることで、家族を守ることになるのだと私は感じて、割とすぐに母に自分の辛かった思いを伝えることになります。

・幼い頃から、両親が不仲で喧嘩が絶えなかったことで、いつも妹と布団をかぶって怯えていたこと。
・ノックもしないで急に部屋のドアを開けて、至近距離で怒鳴り散らされたことが怖かったこと。
・父親の悪口を4〜5時間、夜が明けるまで話続けられて、最終的には「この家には私のことを理解してくれる優しい人間は誰もいないんだ。友人の方がちゃんと聞いてくれるから、他人の方がよっぽど優しい。友人の娘は優しいけれど、私の娘は違う。こんな娘を持って残念だ。」など
 そんな風に言われてきたことの一つひとつに傷ついてきたことを伝えました。

母は、認めたくなかったようで時に首を傾げたりしていましたが、夫婦の喧嘩が絶えなかったことに関しては謝ってくれました。

引っ越してきた両親には、9畳の私たち夫婦の寝室をあげ、リビングやダイニングには、食器棚や食器、テレビボード、ダイニングテーブルなど全てを両親のものと変え、私たちの物は全部捨てました。

そんな中でも母は「コロナがいつ、うつるといけないから」と言って、キッチンやリビングは使っていません。寝室の目の前にある外の水道で、顔を洗ったり食器を洗ったりしています。

そして、挙句の果てには「私たちは何もあんたたちに迷惑を掛けていない。
なのに、こじきみたいな生活をしていて、惨めだ。」と言って、また私たち夫婦にストレスと怒りの感情をむき出しにしてきました。

主人の提案で家族会議をすることになりましたが、母とは建設的な話し合いはできないので、まずは話を聞く姿勢でいましたが、感情的に反応してしまい、涙が止まらなくなってしまいました。

そんな姿を、当時高校生だった長男が別の部屋から聞いていて、間に入ってきてくれました。母に対して「あのさ、俺はおばあちゃんのことが好きだけど、俺のお母さん泣いてるよ?それでも、あんな言い方するのは人としてどうなの?逃げないでよ。」と言ってくれたのです。

母がいなくなった後、息子は私に「また何かあれば、俺が間に入ってもいいから言ってね」と言ってくれ、私は自分が守らなきゃと思っていた息子から守られていたことに気が付いたのです。

そのことがきっかけになって、母は余計な口出しをしてこなくなりました。
一番大好きな初孫に言われた言葉の影響力は偉大だったようです。

そして、その時から私には守ってくれる家族や、仲間がいて、今の自分の環境は素晴らしいなと実感できるようになりました。
毎日21時からのふりかえりルーム、毎週金曜日のアクティブリスニングルーム、毎週日曜日の07部の3つの運営に携わるようになりましたし、またシモトリさんのメモ書きルーム、光子の部屋、親子のクオリティルーム、アクションリーディングルームなど、赤羽さんの影響を受け、関わる人たちに支えられている実感です。

自分ひとりで何でも抱えて、どうしようもできないことも、自分のせいにして、他人の目を気にして、勝手に自信をなくして生きることを選択していました。

でも、できないことがあって当たり前で、みんなそれぞれに抱えているものがある。私も同じ。赤羽さんの『人は誰でも頭がいい。いくつになっても変われます』という言葉は、今でも私の心の支えにもなっています。

だから、自分の意見を持つこと、自分の気持ちを伝えることができる、このハウスでの経験や出会いは、今の私へと変化させてくれました。

変化してくると、職場でも人間関係の好循環を実感するようにもなりました。
現在保育士をしていますが、日々の生活の中で人の気持ちに寄り添うことのできるアクティブリスニングを意識することで、同僚からも、園長や理事長、保護者からも相談されたり、弱音を吐かれる場面、話しながら涙を流してくれることも圧倒的に増えました。

自分が今の自分を受け入れるようになったことで、できないことも許し、今あることに感謝することができることで、人の背景を知り、寄り添えるんだなとも感じています。

そして、3歳児クラスの子どもたちにも、小さな頃から自分の意見を持ち、自分の言葉で伝えること、そして友だちの話を聞くことの大切さを伝えたくて、クラスの取り組みとして「こども会議」の時間を作ってます。

この取り組みの姿を写真に撮って、子どもたちがどんな風に言ったのかの言葉や、私のまなざしのコメントも添えて、1枚の紙にして掲示しています。

最近では、保育参観でこのドキュメンテーションの写真を見て、保護者にも感じた思いを付箋にコメントしてもらって、その付箋を写真に貼ってもらい、参加型のコミュニケーションをとるようにしました。

実際に、保育参観でこども会議をしてみると、「素敵なことされてますね」「今まで兄弟を園に通わせていますが、こんなに素敵な先生に出会ったことはありません」など、たくさんのうれしいお言葉を頂けています。

半面、保護者からの園に対する眼差しが変わってきていて、「不適切保育」に過敏に反応していることがあります。だからこそ、まずはその思いを聞かせて頂くこと、そして私たち保育者の子どもたちに対する温かいまなざしを自分たちなりに伝えていく努力も必要であると実感しています。

 変化のきっかけや、日々の眼差しを考えるメモ書き、人とのつながりの大切さを感じれる毎日に感謝しています。私の人生出会って下さって、本当にどうもありがとうございます。








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