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無敵の世界は、純真な言語宇宙

椿美砂子 詩集『青売り』(土曜美術社出版販売)

 身体を透過して詩的言語を発語する、饒舌で肉感的な女性詩人の詩作品を評したことがある。いっぽうで対照的に、語彙選択が洗練されて透明感があり清楚で、女子然とした詩を書く詩人もいる。都会的センスを生まれながらに身に着けながらどこか儚気で、身体感覚を忘失したかの女子が、田舎の男子だった私は好きだった。そんなことを思い出した。その女子の大きな瞳を覗くと、私がみていた世界とは見違えるほどの清新で煌めいた世界や世間が広がっていた。〈人の佇まいや声が色づいてみえるのはわたしの性質だ/人に色彩や旋律が滲むとほっとする〉(表題作)のだから、私がそう感じるのも当然だろう。詩篇『白い部屋』では、〈左耳がぽろっともげ〉て、彼女が〈とても痛いと答え〉ても、なぜか痛がる様子は少しもみえない。〈冬の寒い夜明けに左目が落ちた〉ときは、〈右目だけで空を仰いだ〉り、〈右手がなくなったときはしあわせだった/いつもいらないものに触れてしまうから〉(詩篇『夜は眠るだけ』より)と、むしろ済々して自由感すら覚える具合だから、ひとりの女子の心と身体とに隙間があるとすらいえる。〈心だけ残る 心だけでいい/宙に浮いた心でどこにいこうか/疲れたらこの白い部屋に帰り/眠ろう〉(同詩)と。身体は早々に休ませればいい、心は何時間でも起きていられると優先するのはいつも心だ。身体は年々加歳するけれど心は加歳しない。逆に若返ったりする。それが心の特性なのだ。
 純真な心を大事にするのは女子の特性である。愛好するものを手に、饒舌を内向的な独り言をするのもそうだろう。リアルな社会や世間は時に暴力的である。〈殴られて殴られて/ぐちゃぐちゃにされても/搔き集めて言葉にする〉(詩篇『殴られて』より)。純真な心を大事にする女子には、〈搔き集めて言葉にする〉ことが、なによりも大事なことなのだ。〈わたしは遥か空の真ん中の永遠のそのまた永遠がほしかった〉(表題作)のだから。こういった世界は、詩人本人のこんな言葉を紹介すれば腑に落ちるだろう。「書いている時間だけが子供の頃から無敵でした」(「あとがき」より)と。この言葉以上の本詩集の解説がありうるだろうか。

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